午前中のアポが急遽キャンセルになったので、会社に行く前に新国立美術館に寄り道。春休みも終わったし、平日だしと余裕をこいて開館時間についてみたら、チケット売り場は、長蛇の列。企画展が同時にいくつもあるけど、草間彌生さんの人気も凄いらしい。サクッと一回りの時間しか考えてなかったので、展示の見学は次回にして、某クライアントから依頼されたグッズだけ購入して、ミッションクリアー。
外苑西通りから青山墓地の中を抜けて会社まで行こうと歩いていたら、知人に墓地の真ん中でバッタリ。なんと、ここが通勤路だそうだ。それにしても、青山墓地には、なにやら凄い人のお墓がたくさんだなぁ..
事務所に戻って、先週の某会議の議論を反映した報告案の修正案を提出。この報告書は、いわゆるガイドブックという類ではあるが、公的な会議体からの成果物だ。従って、特定利害者の恣意的な性質はなるべく排除し、公平、中立なものとして、関係者や産業界が批准できることが重要と思っている。
このガイドブックの示す道先は、民間の競争領域もあり新規参入もあるドメインなのだが、なぜか事務局案には、不自然に特定技術の固有名詞が入れ込まれている。そこで、先週の会議では、十分に社会認知され、汎用的である確証がないのであれば、現時点で固有技術を指定して推奨することは、大変危険である旨を指摘した。
その上で、もし記載するなら、xxxxの機能を実現する技術導入が望ましい。(例えばxxx,yyyなどが挙げられる) というような記載をするように提案した。しかし、悲しいかなその本質がきちんと理解されなかったようで、本文の文言にはAAAなどの技術が望ましいと記述されていた。
「など」という文字が入ったのは大きな前進だけど、こういう事例であれば、少なくとも具体的な固有技術を複数並べたうえで「など」を入れることが普通だと思うのだが、そういう配慮がない。
結局のところ、こういう公的性質の文書を策定するには、もちろん個々の思惑はあるだろうけど、取り仕切り側に、中立性や公平性意識があるかが重要ということだ。不思議なもので、この事例の場合には、座長も、会議体の主催側も、なんだか事務局に丸投げ的にみえて、リーダーシップが垣間見えない。
標準化などでは、たとえ冗長になっても、曖昧性を排除する文章が重要であるし、その結果がなんらかのバイアスを生むのであれば、逆に徹底してあいまい(というか実装に対する包容性)を維持する文書とすることが望ましいと思うのだが、果たししてなんでこんな事態になってるのか不思議だ。
よく玉虫色の文章とかいうけど、それだと解釈による差異がでるので、本質的なところはききちとん輪郭のある記述をし、受け手の裁量を包容するところは、きちとんオプションとして示すことが重要なんだろうな。
というわけで、水玉模様からはじまった1日は、なぜか玉虫色な問題と格闘する仕事になった。