訳者によれば、もっとも見栄を張って読了していないのに読んだと言われる小説がジョージオゥエルの1984年だそうだが、とりあえずその新訳の文庫を読了。
これは、70年前に出された小説なのだが、いろんな部分で、普遍的だったり、現代を予測していたのではと感じる部分が多々ある。センサーネットワークなんて、一歩間違ったらここに出てくるテレスクリーンや至る所に仕掛けられているマイクというやつになる。
それにしても、こんなに読んでいて陰鬱になる物語は、なんか久しぶりなきがする。実際に、途中でなんども読むのを止めようかと思ったくらいだ。 それでも、途中からは物語の展開が進みだしたので、なんとか読了したけど、時間はかかった。
しかし、この中に出てくる二重思考なんていうのは、実は本質的には、誰もが持っている性質なんじゃないのとも思う。僕なんて、いつも自分のなかで矛盾する二つの精神が議論してる。そのうえで、どこかに着地しているということは、結局のところ成否ともに受け入れてるわけだ。
ただ、つくづく大事だと思うのは、それは主体が誰かということなんだけど、外部から徹底した調教をされると、いわゆる条件付けがされてしまうのは、やはり動物的な性なのだろうか?
なんか、馬の調教も、もしかしたら.....なんて思うと、ちょっと悲しい。