今週は、バンクーバーで開催されているWi-Fi AllianceのMember's meetingに参加している。Wi-Fi Allianceは、民間アライアンスなので、会員以外には標準化作成過程における情報開示などは極端に制約されるので、ここにいろいろと書けないことが多い。
民間アライアンスは、高い会費を払うメンバーが、それなりにBoD(Board of Director)の席を持って、それなりに強い権限を持つ。しかし、だからと言って我田引水なゴリ推しが出来るかというと、そのような事が出来ないガバナンスは働いているし、あからさまなことをすれば、その企業の信用は失墜する。
では、完全に公平でフラットかというと、そこはそれなりにバイアスはあるのが実態だが、コミュニティの中での立ち回りや信頼というのは、相当に大きな意味を持つ。だから、それなりの力のある企業でも、なにか恣意的な行動をするには、相当に慎重にコンセンサスを得るための努力をしている。まぁ、日本語で言うところの根回しというやつだ。
こういうのは、結局オープンイノベーションという時代にあっては、個の企業の創出するマーケットよりも、コラボレーションにより創出されるマーケットのほうがはるかに大きく、そこから個の企業が得られるものも大きいからだ。
しかし、どうも日本の大手企業で、かつて成功体験のあるレガシーな企業には、こういうことが理解しずらいのかもしれない。たまたま、いま関係してる業界での仕事でも、恣意的な提案を上から目線で落とし込んでくる体質が露呈するケースに驚かされる事がある。
基本的に、なにかを複数の企業が参加するコミュニティで決めるには、オープンな場で議論をし合意を得ることを第一とするのが望ましい。となると、自ずとそこへの寄与は、あくまで私的提案であることを明確に示し、議論の余地のある寄与をすることが重要になってくる。
ところが、どうも"たたき台"という寄与が、とても力を持ってるような勘違いをしているケースがある。こういうのは、基本的にシャンシャン総会的なコミュニティしか経験していない旧態依然とした企業にある傾向のようだ。
日本では、平場の会議で議論をし評決をするというのが少なくて、あとは座長一任で的な密室体質が大人な対応みたいに考えられてきたからかもしれない。特に、官公庁の関係する審議会などにこの傾向がみられるが、これでは世界で勝てるエコシステムは出来ないだろう。
議事録がなかったり、意思決定がいつされたのか不明なんていうのは、ガバナンスの確率されたコミュニティでは起こり得ない。日本のレガシーな企業が、世界戦略で後塵を拝してる理由の一つは、こういうコミュニティでの意思決定などを尊重しないゴリ推し体質なのかもしれない。