主催するNPOのグループホームの利用者の男子(26歳)は、iPadでYoutubeを見るのが大好きなんだけど、これが実に不思議でしょうがない。
彼は、自閉的傾向が強く(世間では自閉症と言う)、字はひらがなで自分の名前を書けるけど、読めない。数字も読めないし計算もできない。会話は、二語文とか三語文で簡単に意思を伝えたり、挨拶等は出来るけど、脈路のある説明や会話は、難しい
そんな彼に、彼の好きなアンパンマンや電車の動画を、最初は保護者がiPadで検索して見せていた。ファミコンとかもそうだけど、反復して操作を覚えるのは、得意で、あっというまにタッチ操作などは覚えてしまった。
不思議なのはここからだ、彼が見れるように最初に保護者が検索して与えたのは、たかだか十個に満たない映像だった。ところが、いつの間にか彼は、仮の知っていたり好きな映像を見つけて、それを見せてくれたりする。
もちろん、彼が検索窓からキーワードを打ち込んでるわけでなくて、一つのコンテンツが出た後に、関連で表示されるリコメンドコンテンツの、カットアンドトライをしてる間にたどり着いてるのだと推察はできる。
しかし、彼の実家や祖母の家のある街の風景や、彼が行ったことのあるの旅行先の映像や、そこに停車する電車の車内の映像とかを見つけてくるというのは、かなりハードルが高い。
僕らがピンポイントでキーワードを入れても、そんなに簡単に見つかるとは思えない感じだ。
というわけで、彼の操作のログを解析して、コンテンツにたどりつくまでの軌跡や、そこにあるコンテンツの相関とかを調べてみたくなるのだが、iPadとかでそういうログとか取れるのかな?
もちろん、彼のプライバシーがあるので、本人、保護者等の同意がないと出来ないけどね。
世間では、少しベンチャー投資が活性化されてきて、起業支援みたいな話が増えてる。こうなると、直ぐに出てくるのが起業を支援するなんちゃらみたいなビジネスで、セミナーだったり、交流サロンだったりも、最近活発になってる気がする。
面白いのは、昔もそうだったけど、起業支援とか言ってる人で、自ら起業した経験者にあまりお会いした事が無いことだ。こういう人達は、経理,財務だったり、資金調達だったりを知っているけど、泥臭い事をした経験の無い人もかなり多いんだけど、周りを見てると結構こういう周辺にお金を使う人も多いようだ。
ベンチャーを支援する良い方法は、対価をちゃんと払う顧客になる事だと僕は思ってるんだけど、顧客を紹介したり、バックオフィスを手伝ったりしてフィーをしっかりとる人達が結構いる。
こういう周辺って、ベンチャーや起業家を支援してるんじゃなくて、対価を受けてサービス提供しているだけで、それは普通にビジネスだと思う。
ところが、「支援」とか「サポート」っていう看板掲げる組織や人が実に多くて、それはいかがなもんだろうって、いつも思ってしまう。
昔は、VCが資金投入すると同時に、投資先同士のクラブみたいなのに加入させて、会費とかをしっかり抜くといのゔが常套手段だったけど、また最近のペンチャー投資の盛り上がりで、似たような事が起きないことを祈る。
ベンチャーといっても、大手の潤沢な資金で立ち上がる企業内ベンチャーみたいなのから、ガレージから友達と始めるのまで、いろいろある。また、大手からスピンアウトするというパターンも結構多いようだから、ピンきりではある。
このような中で、本当にアイデアがあってイノベーティブでスモールスタートなスタートアップに、こういう周辺系が触手を延ばしてくるのを見てると、それは支援じゃなくて食い物にしてるだけだろうって言いたくなる。
機内持ち込みサイズのRimowaのキャリーバッグは、車輪が一つ壊れていているのと、微妙に大きめなので、もう一つ小さいのを探してた。
前から、ZUCAが気になっていたんだけど、周りにあまり使ってる人がいない。
たまたま、水道橋にショップがあるというので、今日の夕方近くに行ったついでに覗いてみたら、まぁそこそこに気に入ってしまったので、そのままお持ち帰りした。
しかし、いつも思うんだけど、小分けポーチなどのオーガナイザーの類いって、それぞれのポケットにきちんと決めたものを戻せる人には、とても良いんだろうな。
それが出来ないで、使ったものを元の場所についつい戻せずに、机の上や部屋がジャングル化しがちな僕は、結局はオーガナイザーの効能はないかもしれない。
それでも、大きめの車輪と軽さ、椅子機能、スペア部品等が、そこそこに魅力的だった。
というわけで、今夜からのシンガポールは、これで出かけることにした。
しかし、二泊四日で、会議が三日間ある出張って、結構きついかな...
順調なフライトで朝7時前にチャンギー空港に到着。タクシーで、今回のWi-Fi Alliance members meetingの会場である、オーチャードのシャングリラに到着。当然、こんな朝から部屋に入れないので荷物だけ預けて、8時からのオープニングプレナリーに出席。
ところが、時差はないのに、かなり酷い頭痛が収まらないし、そのうち吐き気がしてきた。そこにもってきて、会議室のエアコンが異常に強よ過ぎで、さらに風邪でも引きそうな感じ。
最初のLong Rangeのミーティングに出ていたのだが、とても耐えられなくなって、昨日から来ている知り合いにお願いして、昼過ぎまで寝たら、少し楽になった。
その後、部屋にチェックインして、風呂に入って、もう一眠りしたら、やっと頭痛も収まって、体調が戻って、ソーシャルにはちゃんと参加できた。
今回のミーティングでは、木曜日に発表があるのだが、メンバー企業単位で参加するWi-Fi Allianceに、今の会社のアフリエーションで参加したり、寄与文章を発表するのはこれで最後になる。
なので、あまり風呂敷を広げると、柔道の掛け逃げみたいになってしまうかもしれないけど、11aiの商用化が見えてきたタイミングなので、避けては通れない。
まだ、確定はしていないけど、どうせ別なアフリエーションで、継続する予定はあるので、まぁとりあえずやるべき事はやっておく。
たまたま、今回は日本のコンソーシアムからのリエゾンも出たので、それの紹介もできるし、流れとタイミングは、とても良い。
ソーシャルは、ボートキーのカフェバー。 IEEE と違って飲み放題で、お約束のシンガポールスリングもあった。二次会は、ホテルのバーでカウンター横並びモードのあと、最後はテラスで夜景をみながら煙を楽しんで終了。
最近、日本の企業も標準化の人材がだいぶ揃ってきたか感じがする。
今回のWi-Fi Allianceのメンバーズミーティングは、日本からの参加者がいつもより多い。
これは、ミリ波のWi-Gigが統合されたことで、その関係者が参加している事と、自動車関係のAutomobile Market Segment TGが日本指導で始まったことの成果だろう。
それでも、外国勢に比べると人数はいても、影響力はまだ小さい。今回も、IEEE 802.11でもオフィサーになっているベテランが、Mediatekに移籍していた。
欧米に限らずアジアの企業も、戦略的にエキスパートと契約して標準化を推進してきている。これに対して、相変わらず日本の企業は、自前主義なので、どうしてもスピードも、影響力も見劣りしてしまう。この辺りは、技術経営をもう少し考えたほうがいいのになぁと思う。
夜は、某キャリアの大先輩の方らと、チャイナタウンで重慶火鍋。久しぶりに火鍋食べたけど、辛くてビールがすすむ。
参加しているWi-Fi Allianceの朝一のLong Range Technology で、11aiのプレゼンテーション。既に、去年プレゼンしてるので、技術的な解説は、全部すっ飛ばして、今のWi-Fiの問題と、11aiで解決出来る事を簡単に説明し、次のステップとしてどうするかをメンバーに問う形でスピーチ。
おかげで、11aiに対する認知は、かなり広がっているので、マーケットタスクグループをスタートする事に反対する意見は無かった。
ただ、相変わらずお勉強不足な欧州のキャリアとかはいて、オペレータのマーケットグループでプレゼンしてくれとか言われたりする。日本のキャリアも、ちょっと痛いずれ方をしてるとこもあるので、似たようなものかな。
今回は、僕のいないところで、名前を出されたり、他のグループでのディスカッションの中で、11aiに期待する発言があったりと、全体として早期実現への期待感が盛上がってるのを随所に感じた。
WFAで新しいタスクグループを立ち上げるにあたり、当然お前がチェアとしてリードするんだよなみたいな事も数人から言われたけど、それはちょっと厳しい。
WFAは、基本的に所属組織の看板で参加するのだけど、今の会社では活動の継続はしないので、他の会社にリードしてもらう事を期待している。
僕的には、折角日本で創出した技術なので、日本の会社に頑張ってもらいたいのが本音だけど、リソースも戦略も残念ながら期待薄な気がしてる。
ここ数年、ずいぶんと日本の企業や参加者のプレゼンスは上がってきてるので、もっとリーダーシップに入ってくる人が増えて欲しいところだ。
クロージングの後、ちょっとだけオーチャードを散策して、ホテルにもどり、日本からの参加者の仲間らと空港に向かう途中のEast Coast Sea Food Centerでディナー。
ここは、観光客相手ではあるけど、相変わらず流行っているし、蟹やらエビ、マテ貝など大勢で楽しむには、やはり良い。
食事のあと、たまたま同じ店に来ていた別なグループの人の現法の人の車に乗せてもらい空港まで移動。
帰りもレッドアイなので、ラウンジでシャワーを浴びて、まずはリラックス。明日は、頭痛にならないといいのだが....
朝、定刻よりちょっと遅れで成田に帰国。A380に乗るのは二度目だけど、本当にデカイ。フライト時間は、六時間くらいだったけど、ぐっすり寝れたので、頭痛もなく快適に朝を迎えた感じ。
そのまま、五反田の会社で荷物をピックアップして、新宿の事務所に移動。午後からは来客との打ち合わせ。
最初の打ち合わせは、某部品メーカーさんと無線モジュール関係の紹介をしてもらった。いま、使ってるモジュールも、某チップベンダーの無線LANチップとマイコンの搭載されたもので、これにRTOなんかも入ってる。
それにしても、昔から小さな会社が大手と同等に民生部品を手に入れるのは、なかなか大変なのだが、最近はネット販売などでずいぶんと状況が良くなっている。
おかげで、アマチュア電子工作好きな人には、結構な事が出来るようになった。とはいえ、やはりアマチュア用は、汎用チップ、ストッキー部品が中心なので、本当にコストを追求しだすと限界がある。
ラズベリーパイとかPICとかも、アマチュア工作的には凄いハードに見えるだろうけど、民生の製品にするにはなかなかお高い。
長年民生のものつくりに関わってきた僕は、一銭でも安い部品と、一秒でも短い工数、一つでも少ない部品点数で出来る製品を目指す。ところが、そういう感覚の開発をする人が、日本の製造業の空洞化とともに、最近はかなり減っている気がする。
逆に、こういう民生の開発の人というのは、オープンソースとか、オープンブラットホームな開発が苦手というか、仕事以外で電子工作系に手を出さなかったりする。このため、ハードウェアのモジュール化によりソフトウェアの重要性が大きい最近の製品開発では、今ひとつだったりする。
今日の二つ目の打ち会わせは、かなり有名で優秀なネットワーク系のソフトエンジニアである知人が、ハードウェア製品の供給をするという案件。
ここは、もう根本的にソフト屋さんなので、ものつくりに対して、とにかく知識や経験がない。ハードの形だけは、OEMで調達できるので、それに独自のソフトを搭載すれば、製品が見かけ上は出来てメーカーぽい体裁になる。ところが、もう品質や試験などにたいする体制や意識は、皆無といって良く、これから沢山の製品を提供するのは、かなりリスクが大きい。
そんなわけで、当面して欲しい事、すべき事などを打ち合わせしたけど、果たしてどうなることやら。
昔、ソフトさえ出来れば、競争力のある製品提供が出来ると勘違いして製品化し、結局はまともに製品提供やサポートが出来なかったプロジェクトがあったけど、今度もその時の関係者がいたりする。開発費用をもらって受託で開発してる人って、結局製品化のリスクを直接負う事がないから、なんども同じ事を繰り返すのかもしれない。
この前、アメリカでFit bitがリコールになったけど、これから同じような事案が多発するかもしれない。結果的に、ブランドメーカーとして多くの顧客や市場に面と向かう人達は、こういうリコールなどを通して、ソフトスキルだけで生きてる研究系開発者のなんちゃって製品化の壁に気づくのかもしれない。。
そこで、最近定年を向かえている年代が、ちょうど自社開発、製造などを経験してる最後世代なので、そういうシニアの力をうまく使えば、アマチュア製造業からプロに脱皮出来る助けになるのではないだろうか。
実際、僕が昔やってた会社では、そういう人達の力が、試作、製造、品質管理等で、とても大きかった。
夜は、恒例の帰国飲み、やはり鮨は日本だな。
名古屋、長野、東京から大学の同期、仕事の関係、同僚などが集まって、我が家の近くの武の井酒造さんの蔵見学。
ここで、八年前から青煌 という、日本酒を作ってる杜氏の清水さんが、自ら製造行程の解説と内部の案内をしてくれた。
それにしても、お酒を作るのはかなり大変だなと思い、普段飲んでいるお酒に、これだけの手間がかかってる思うと、もっとしっかり楽しまなきゃと飲酒の決意も新たになる。
蔵見学の後は、今夜の飲み用の他、各自がお土産用のお酒も買って、家に戻って、いよいよ楽しむ会。
今回は、名古屋から来てくれた大学の同期の友達が、岐阜、愛知、静岡、長野から来てくれた知人が長野の希少銘柄を持ち寄ってくれたので、全部で八種類の飲み比べとなった。
つまみは、今朝市場で買ってきた平貝やさざえを七輪であぶり、石窯で塩焼きにした鯛と、持ち寄ってくれた干物、塩辛や昆布など、完全に日本酒モード。
もう、塩分とプリン体オンパレードで、高血圧と痛風を呼び込む儀式のようになってしまった。
それにしても、蔵の行程をみたあとに、日本酒を飲むと、とても有り難みが感じて、いっそう美味しくいただけた。
昨夜は、ビールも飲まず最初から日本酒三昧だったのと、人数も多かったので、実あまり量は飲んでいなかったようで、すっきり目覚めた。
みんなで朝食をしたあと、電車組を駅に送る途中、白州の台ヶ原に寄り道。今やそこそこにメジャーな七賢さんと、最近は某社のCMでもネタになっている信玄餅の金精軒本店などを一通り見学。
一旦家に戻って昼食と午睡のあと、明野のSunnyさんに様子伺い。相変わらず、馬場は雪が残ってるし、雪解けでドロドロ状態。
馬も馬房に長くいたままだと、運動不足とストレスで、外に出た時に興奮するそうで、そういう状態を「張ってる」と言うと前に教わった。
今は、一月にLAで外乗していらい、もう二ヶ月近く乗っていないので、馬じゃなくて僕が「張ってる」 状態だったりする。
そんなわけで、せめて馬の顔でもと思い、様子を伺いに寄ったら、ちょうど夕方の食事準備だった。というわけで、二頭ほどブラッシングと馬着を着せたりを手伝ったあと、初めて飼い付け(餌やりをこう呼ぶとのこと)もさせてもらった。
明日、天気が悪くなければ、少しだけ外乗できるかもしれないよとの嬉しいお言葉をもらって帰宅。
昨夜から明け方に、また雪が降ったようで、朝は車の上も道もうっすらと白く覆われていた。しかし、気温が相当低くて、パウダースノーなのか、車に積もった雪は、なにもしなくても走り出したら滑るように飛んでいた。
そんなわけで、残念ながら今日ちょつと期待していた外乗はなし。来週は出張だから、結局は二ヶ月以上馬に乗れないことになる。
大学で指導教官の先生と、今後の進め方等を打ち合わせしたあと、かいじ号で新宿に向かう。
途中、強風で架線に絡まったビニール袋があったため塩山でしばし停車。なんだか、こういう状況になると、とても不安になるのは、完全にこの前のトラウマだな。
諸々の事務処理な一日のあと、無償にイタリアンが食べたくて、長い事行ってなかったピッツェリアへ行ってみた。昔は、かなり流行っていたんだけど、かなり空席が目立つ。なにがという訳ではないが、店員の緊張感も無くて、いまひとつ店全体に痛い感が漂っている。客商売というのは、こういうのが露骨に繁盛に出るのが不思議。
今日、イタリアンが食べたかったのは、いつものバーのマスターが作ったLlimoncelloが飲みたいからというのが、本当の理由。というわけで、最後は、恵比寿に寄って、しっかり目的を達成。
Llimoncelloの自家製もいいなぁ、こんどやってみよう。
STAP細胞の論文について、ネットやニュースでは実にいろいろな記事が飛び交っている。中には、Diffをとって他の論文のコピーではないかというのもある。こんな中、共著者の方が、論文取り下げを求めるメッセージも流れてきた。
共同研究等により他人の研究の一部を担う事は、どの分野でもあるだろう。学会や学問によっては、もの凄い数の研究者で共同研究を行い、それを共著論文として発表するというのがある事も知っている。
実際に、膨大な数の研究者での共同実験などでは、論文そのものを自分の寄与していない部分も含めて、精査して文責を持つというのは現実的でないというのも、なんとなく納得出来る。
それでも、例えば他人の研究の結果得た何かを利用する実験をして、その結果のデータを供与した場合、少なくもとそのデータが使われてる箇所くらいは、精査するべきではないだろうか?
また、精査するかどうかに限らず、共著者として自信の名前を入れるかどうかの判断は、無断で行われない限り、自分がそれを良しとした結果だ。
もし、共著者間の信頼関係に疑義があったり、寄与したデータの信頼性に自信がなかったりしたら、その場合は、共著に名を連ねる事をやめるべきではないだろうか。
学会によって違うのかもしれないが、研究に対する寄与度に関わらず、名前を並べる傾向があるのも、とても気になる事でもある。
というわけで、僕も他の研究者に共著者になってもらったり、なったりしてるけど、今回のことは論文というものの重みを再認識する良い機会になった。
今日も一本共著の論文をレビューしたけど、これは何かあったら文責を担うことが出来る研究なので、よろこんで名前を連ねさせてもらった。
ハードであれソフトであれ、研究系の新しいアイデアの製品開発や実装を外部に発注する場合、そのテーマや関連研究の実装経験のある相手に発注するのは、あたかも合理的なように思う。
ところが、これが以外と落とし穴で、アイデア段階のものを実装力のある外部に頼むと、仕様が不明だとか、そこは想定してなかったという言い訳をしながら、最終的に実装力で作り込みで仕上げる。
結果的に、完成するのだから良いじゃないかと思うかもしれなが、こういう仕事をする人や組織は、逆に仕様書等が残らない。
よく、コードが仕様書だとか言う人がいるけど、新しいアイデアであればあるほど、特定の開発環境や言語に依存しないアーキテクチャをきちんと設計する事が重要なので、それが実装コードというの望ましくないはずだ。
建築業界とか大きなプロジェクトでは、コンサルや基本設計、概念設計と、実装(施行)は、分離されることが多いのだが、ソフトウェア開発ではあまり聞かない。
また、アジャイル開発とかコンカレントエンジニアリングを曲解して、設計も詰め切らないのに、いきなりコードを書くパターンも多い。
組み込み系などで、明確に外部インタフェィスや制約条件が決まっていて、ゴールの形が目に見えやすい場合は、まぁ開発期間も短いし、大きな問題にならないこともある。
しかし、新しいプロトルコの研究開発等で、比較的長期になるプロジェクトは、屋上の上に屋上を重ね、年々深みにはまっていくという恐ろしいことになる。
そこで、つくづく思うのは、公的な研究プロジェクトなどは、設計と実装の発注を分離する事が望ましいのではないだろうか?
そもそも、国や公立の研究機関の場合には、その成果はあまねく広く展開される事が望ましいのだから、なおさらではないかと思う。
こういう、業務の仕組みの視点で、デスマーチなプロジェクトを減らす取り組みというのに,少し興味が出てきた。
夜は、財務部門の人と,久しぶりに会食.財務とかもストレスが大きくて大変だな...
社外取締役を引き受けてる会社で、とにかくちゃんと注残管理をする事を、再三提案していたのだが、技術系上がりの経営陣には、どうも意味が通じてなかったらしく、今日改めてその解説をした。
僕は、日売りの小売りやサービスではなく、製造メーカーやコンサルやSIも含めて、ある程度納期や契約期間が長いビジネスでは、売上げ管理よりも受注残管理が重要な指標だと常々主張している。
売上げというのは、営業活動の直接的な結果ではなく、受注した仕事や製品の生産行為(モノの製造やサービスの実施)によって、必然的に発生するのものだ。
極端に言うと受注していない仕事の売上げは立たない。もちろん、日売り、現品取引では受注=売上げとなるけど、先にあげたようなビジネスでは、受注〜売上げに一定の期間がある。
これは、受注生産という意味ではなく、在庫品の販売でもリードタイムはあるし、コンサル、SI、開発等では、その役務期間がある。
従って、ある時点での受注残高は、もしその時点以降に一切の注文、契約が無かった場合に、どれだけ事業が継続できるかの秤量となる。
また、当然ながらむ、その時点以降のリソース確保、設備投資、資金繰りの重要な指標となる。
ところが、どうも古いというかトップセールスマンみたいな筋肉頭の人には、営業=売上げだけだったり、会社も売上げだけで評価したりしている。
僕は、もう四半世紀も前に、某社の営業だったころ、上司にこの受注残の考え方を、とくとくと教えられた。
その会社の営業報告では、月初受注残+当月受注-当月売上=月末受注残を計算(当時は、手書き)して、毎週報告していた。
また、新規の口座開設するような受注先を如何に増やし、既存の取引先数を如何に維持するかも評価の対象だった。
ところが、最近おつきあいしている幾つかの業績が厳しい会社に共通していることは、単純に売上げ目標と売上げ金額だけを指標にしてるいパターンが見受けられる。
こういうのは、やはり会社の教育がどうなってるかなんだろうな。
今夜は、都内の某所で、九州と鳥取からきている知り合いの研究者らと一献。
実に数年ぶりに某証券会社の本社を訪問。かつて、この新興証券会社には、その親会社も含めてとてもお世話になった。特に、この会社のトップの方には、いろいろと薫陶を受けた。
その頃、別な証券会社でベンチャーの公開引き受けのTopだった方が、この会社に転職され、彼との再会が今日の目的。
一通り昨今の業界の動向などの話しを聞いた後、会食。彼は、僕と同じ歳なんだけど、とにかく話が面白い。
話の随所に歴史的な事実が引き合いにだされて、それが具体的な年や関連する数字を伴って語られるので、とても説得力がある。まぁ、よくこれだけいろいろな数字や年号を覚えてるものだと感心させられる。
しかし、彼の面白いのは、そういうノンフィクションな話だけでなく、何かの事例を説明するときには、ちゃんとフィクションなメタファーが用いられて、判りやすく語られることだ。
話しを聞いたら、彼は18の時に大阪で喫茶店の経営をはじめていたそうで、大手証券会社に長年いた金融系サラリーマンとはとても思えない闊達で、アグレッシプなキャラは、こういうバックグランドがあってなのだろう。
今日は、グローバル経済の流れを、エネルギー資源との関係からいろいろと教えてもらったのだが、本当に楽しい会食だった。
会話の上手な人は、ファクトとメタファーの使い方やバランスが良いということを、再確認した。
朝の羽田発便で北京に移動。前回は、2010年5月のIEEE802 Interimで、僕がStudy Groupのチェアになった時。あれから、既に丸4年を迎えるとになる。
前回来た時には、まだPM2.5の騒ぎは無かったけど、今回は空港に降りるなり、その凄まじさを実感する。とりあえず、空港からタクシーでホテルにチェックインしたけど、そのわずかな移動でも喉がすこしガラガラする。
一休みしたあと現地のデーターセンターを運営しているベンチャーの副社長がホテルまで迎えにきてくれて、798艺术区の近くにある彼らのオフィスに移動。
二人の若い研究者を交えて打ち合わせ。なんと、そのうちの一人は、APANやAPRICOTでアクティブだそうで、共通の知り合いの名前を言い出したら切りがなかった。
打ち合わせのあと、再びホテルまで送ってもらったけど、本当にちょっとした外出で喉に違和感がでるっていうのは,本当に凄まじいものがある。
さすがに、疲れ気味なので、ホテルの前のモールの地下で、ハンバーガーを食べて早めに休むことにする。
今日からIEEE802.11Plenaryがスタート。まずは、TGaiに大変な貢献をしてくれた研究者とエディタと同じテープルで朝食。今回は、先々週のWi-Fi Allianceから一週間しか空いていないので、かなりの数の常連とついこの前あったばかりという感じだ。
朝食をとりながら状況確認をしたあと、暫し雑談。どうしても話題は、PM2.5の話とマレーシア航空のことになる。テレビも新聞も、こういう場所でもは、日本で騒がれていた消費の日、日本製品ボイコットとかいう話題は、まったく耳に入ってこない。
知り合いの研究者から、紫禁城〜全聚徳 前門〜長城という、楽しくて美味しそうなお誘いがあったのだけど、年度末の報告書の締め切りがあるし、いづれも行ったことがあるので今回はパス。
夕方のチェアミーテイングからいよいよ会議開始。今回は、WGのチェアの選挙がある。今、立候補している3人は、いずれも現役のOfficerで、チェアミーティングのメンバーだ。
今日のミーティングで、オープニングプレナリーのアジェンダとして、立候補のスピーチを5分、質疑を5分という案を,現チェアから提案された。これに対して、一人の立候補者が、それは短すぎるというこで、10分に変更になった。
3人の候補のうち、二人とたまたま廊下で立ち話しをしたけど、いづれもそれなりにアピールする点、ストーリを考えているようで、なかなか楽しみだ。とはいえ、今回は、あまり小賢しいロピーはなさそうだけど、投票が水曜なので、まだなんとも言えない。
夜は、ホテル横のショッピングモールのレストランで、軽く中華。そのあと、知り合いの部屋で灘のお酒をごちそうになった。
今日は、朝から実に沢山のバースデーメッセージをFaceBookで頂いて、嬉しいやら恥ずかしいやらな一日。
僕は50歳になった時に、歳をとるのを止めたので、誕生日が来ると僕より若い人とは、一つ世代が近づくし、先輩に対してはより若者の素直な気持ちで真摯に教えを受けるようになれると思ってたりする。
そんな今日も、IEEE802.11のPlenaryな一日で、午前中はTGaiがあり、午後はWGのOpening。今日のOpeningでは、WGのOffierに立候補している3人のスピーチがあった。やはり、内容というかそのスタンスは、三人三様で面白かった。
夕方は、折角なので全聚徳で北京ダック。ホテルのコンシェルジュに、前門の本店の予約を頼んだのだが、間違いで王府井の店になったしまった。
それでも、日頃IEEE802.11で活動している日本のみんなと十人でテーブルを囲み、楽しくて美味しいディナーだった。
ディナーのあと、部屋に帰って暫く気がつかなかったのだけど、ふとみたらサイドテーブルにホテルの客室スタッフからのバースデーケーキがカードと一緒に置かれていたのに気がついた。
ケーキといっても、しっかりホール一つで、そこそこのボリューム。しかし、フォークもナイフも無くてどうやって食べるんだよと、ひとりツッコミ。
というわけで、ルームサービスに電話して、お皿とフォーク、ナイフをもらい、日本から来ているメンバーに応援を要請して、部屋のみ&ケーキ。
しかし、これ会議とかじゃなかったら、一人で絶対に食べれる量じゃないし、仮に食べれても一人じゃ寂しすぎる。
でも、手書きのカードに、ゲストサービス担当のスタッフ数名のサインまであって、なかなかに嬉し恥ずかしいものがあった。
というわけで、なんだかほっこりな誕生日だった。
FaceBookとかで、メッセージを頂いた皆様に、改めて感謝して就寝。
IEEE802.11aiは、なんとか、今日の会議で、一番の懸案だったセキュリティ関係の技術仕様が合意できて、Draft2.0の書面投票へ進む目処が少し見えてきた。
それにしても、そりが合わないのか,とにかく犬猿の中というのは、どこの世界にもいるものだ。まぁ個人的にその二人が仲が悪いのは構わないけど、集団で作業をしている標準化では、こういう人達が妥協しないことが全体の進捗にとても影響する。
結局、最後は全体の進捗のために妥協するんだけど、だったら最初からもっと相互にコミュニケーションしろよと突っ込んだところで、馬耳東風なんだからしょうがない。
今日は、もうこのやり取りでうんざりして、かなりの疲労感だったので、食事も行かずにカップうどんたべて、夜部屋で日本から来ている参加者らと飲んで就寝。 疲れた...orz
参加しているIEEE802.11会合は、今日のMid Week Plenaryで、チェアの選出投票が行われた。
立候補しているのは、現在のVice Chair二人と、ベテランのTGチェアの3人。一回目の投票で、50%の得票者がいなかったので、上位二人での決戦投票を行い、インテルのベテランが選出された。続く投票で、チェアにはならなかった二人がVice Chairに選出されたので、結局はいまのOfficer チームから、WG Chairが抜けて、その後にベテランのTGチェアが新たに加わったことになる。
チェアかバイスチェアかで、職権範囲は異なるけど、Officerチームの中で個人が単独先行するようなことはない。従って、Officer チームの3/4が重任だから、引き続き安心して見ていられる。
僕がチェアをするTGaiも、来月には任期満了によるOfficer選挙があるけど、今回はあまり大きなロビーはないようだ。
夜は、北京のデーターセンターのエンジニアらと会食。連れて行ってくれたのは、日本料理屋で、日本人の多い地域ということで、味も十分に許容される範囲。
どこにいっても、大都市では日本食が流行ってることを再認識させられた。
今日の朝のスロットで、無事に11aiのDraft 1.0に対するコメント解決が全て承認された。これにより、エディターがDraft2.0を用意して、書面投票に進む事となった。
本来は、一月にここまでこぎ着ける目的だったのだが、セキュリティがらみはどうしても議論が長引いてしまう。それでも、参加者の皆が前に進めようという強い意識を持ってくれたので、ここまで進められた。
4年前の北京会合に、前進であるStudy Groupのチェアに就任して、あの時には、なかなか手厳しい洗練を受けた。TaskGroupになってからもいろいろあったけど、 今回のドラフトで技術的な仕様は概ねまとまったので,Wi-Fi Allianceの活動にも弾みがつき、いよいよ実用化に向けて進むだろう。
というわけで、実に数年ぶりに木曜日の朝に審議が終了して、夜のチェアミーティングまで余裕のある時間を得る事になった。たまたま、今日はPM2.5も少なくて、空も奇麗なので、同僚らと天壇公園と故宮を散策。
天壇公園は、北京の観光地では、最も好きな場所だ。以前に訪れたのは、多分十年以上前なので、その頃から比べると回りがずいぶんと開発された感じがある。 それでも、ここから見える空は、やはり宇宙を感じる。
故宮を訪れるのは四年ぶり、三度目だ。最初に来た時は、ラストエンペラーのテーマーが頭の中に流れてたけど、二度目以降は春児や西太后慈禧の幻が走り回ってる。
しかし、今日は奇跡的に青空が広がって、昨日までのハードな会議の事を思うと、まさに雲外蒼天な気分だ。これで、龍玉がこの手に転がりこんできたら最高なんだけど、そんなことは無かった。
夜は、中国人の研究者の案内で同僚らと老成都というローカルな四川料理レストランで、とてもリーズナブルだった。
午前中のClosing Plenaryで、僕が発議者であるTGaiの動議は、あっさりと可決されて一安心。
また、正式に水曜日の選挙の結果もアナウンスされて、現WG議長の最後のPlenaryとなった。
昨日の朝タスクグループで、Draft2.0を書面投票に付すことが承認された訳だが、その後は他のチェア仲間にあうと、皆がCongratulation と声をかけてくれた。まあ、一連のステップが終わって良かったねというくらいの軽いねぎらいのお言葉だ。
選挙で選出された新しいWG議長に、お祝いの声をかけるのも、こういう仕事の一段落の時に声をかけるのも、Congratulation だというのは、なんとなく感覚的に慣れてないので、ちょっと戸惑う。
だからといって、他に適当な言葉があるかというと、ポキャの少ない僕には、直ぐに思い浮かぶものがない。
同様に、怪我や病気の人にお大事にと言う時も、不幸のあった人にお悔やみするもの、ごめんなさいも、みんなSorryだと言うのも、なかなか感覚的に慣れなかったりする。
こういうのって、学校とかではなかなか教えてくれない。僕はよく外国の人に、use full wordは何かなんていうのを[NPO]聞く。
例えば、広東語では、圧倒期に唔該:Mh goi(ムコイ)が便利で、これは日本語の「どうも」みたいな感じだ。
こういう、多様性のある単語って、英語はないのかなとふと思う。
正午にホテルから某通信会社の人達と一緒に空港に移動して、定刻通り羽田に帰国。ちょうど良いタイミングでバスがあったので、速攻で乗ったら、渋谷の首都高速下の火災の影響で渋滞があるかもとアナウンスされた。ところが、そんなに酷くなくて順調に帰宅できた。
朝のあずさ号で、久しぶりに山梨に戻った。もう、すっかり道路の雪も消えて、我が家も屋根から落ちた雪が少しだけ残っているくらい。
家について、さっそく横の雑木林を覗いたら、やっと蕗の薹が出始めたところだった。早い時には二月の終わりくらいなのに、さすがに今年はあの雪の影響で遅かった。
先週の北京では、ホテル以外でコーヒーを飲めなかったし、ホテルのコーヒーも今ひとつだった。というわけで、清里の増田珈琲館にいって、久しぶりに落ち着いて珈琲を堪能。さすがに、大泉や清里は、まだまだ雪がかなり残っている。
帰りに近くの地元スーパーで、鹿児島産の早生のそら豆を売っていたので思わず購入。
早めにたかねの湯にいって温泉にもつかったので、夕飯はのんびりと七輪でそら豆を焼いたり、唐墨を炙ったりしながら、蕗の薹の天ぷらと日本酒。どうも、最近はワインよりこっちのほうが体にあうみたい。
しかし、塩分と糖分の取り過ぎになるかもしれないな...
明野のSunnyさんから、雪がかなり溶けて外乗に行けそうだという嬉しいお知らせを、先週いただいていた。もちろん、二つ返事で行きますといって、楽しみにひたらすこの日が来るのを待っていた。
昨日は風もなかったのに、今日は少し風があったので心配したけど、午後からの外乗は実に気持ちよかった。
とりあえず、林道の状況が判らないので、行けるとこまで行ってみようという感じでスタート。ところどころ,北向きの部分は雪が残ってはいたけど、流石にアイスバーンなところはなく、多少深めのとこはあっても、なんとか通れた。
一連の大雪の関係で、一月にLAで外乗して以来の二ヶ月ぶりの騎乗だった。しばらくぶりなので、とりあえず馬に乗るということ事態を思い出すのに、外乗はちょうど良かった。
馬場の状態も、もう大丈夫だそうなので、来月からはまたレッスン騎乗ができそう。
朝は大学で、副査の先生から論文の指導をいただいた。僕は論文の位置づけというか読者層をかなり狭い範囲に想定しすぎていたようで、いろいろと追記する必要が理解できた。しかし、一連の騒ぎのせいで、論文の話題になるとコピペネタが避けて通れないのは、なんだかなぁではある。
車を車検にだすので、大学から東京までは車で移動して、午後は某研究機関の理事の方と面談。研究者というのも、時代とともに求められる成果の形が変わってきてることを、最近はとても感じる事が多い。
個人的には、公立の大学や研究機関は、いたづらにビジネスに走った成果展開を追求するのではなく、もっとコンセプチュアルなところに拘ったほうが良いのではと思うのだが、独立法人化により中途半端なミッションを負わされてしまった気がする。
夜は、とある中小企業の経営陣と打ち合わせ。未上場ながら戦後直ぐに海軍の技術をもとに創業した老舗だけあって、新規技術に対する感心はとても高い事が判る。こういう基礎のしっかりした柱が技術にある会社は、急成長は厳しくても、持続性はあるのかもしれない。また、自社に無い分野については、投資やM&Aで補っており、そちらの目利きも大したものだ。
創業家が経営に絶対的な力をもってるいとはいえ、執行している経営陣らがきちとん経営判断ができる体制になっている点が、ミーティングの質疑が闊達にされる所から感じれた。
技術にプライドと芯のある会社というのは、自由闊達に意見を交わせるミーティングができるのも特長だろう。
朝、日本のインターネットの父と言われている某先生と、久しぶりに面談。昔、某通信事業を立ち上げた時には、この先生に顧問に就任いただいたのたが、創業の記者会見の席上で、「世界で一番えげつない通信会社だ」 という言葉を頂戴した。
この表現は、この通信会社がまったくインフラを持たず、インターネットだけを使い、End to Endに拘った事を見抜いて出てきたもので、この時に先生の鋭さを痛感した。
今日も、いま進めてる事案の説明をさせてもらったら、いつも饒舌な先生が暫く沈思黙考したあとに、うっと思うよな鋭い指摘をしてくれた。やはり、判る人は話が早いし、論点も鋭い。
昼前、グループ会社の同僚に呼ばれていたので、なんの打ち合わせかとおもったら、なんと離職の挨拶をされてしまった。彼が離職するというのはまったくの想定外の展開で、正直いって驚愕の極みだ。
僕も、今月末でこのグループからは離れるのだけど、本日付けで離職するというのだから、なんだか先を超されて、一面トップをさらわれた感が否めない。
普通、企業は人であるとは言え、余人に代え難しなんてい人はいないので、人が去っても会社は回って行く。しかし、そのためには、組織がシステムとして機能していることが前提で、属人的なマネージメントで経営している組織では、残念ながらそうは行かない。
だから、それなりのコアの人が組織を離れる時というのは、本当の意味で企業の強さが試される。僕も今月末までしかウォッチはできないけど、元同僚や部下もいるので、あとはこの会社の成長を外から見守るしかない。
赤坂で午後の打ち合わせの前に、久しぶりに砂場で蕎麦。店舗の改修も終わって仮店舗から戻ってきた。やはり、この店は、この場所がいいな。
夕方の便で福岡に移動して、元同僚や研究者仲間らと、いつもの店で魚と焼酎。今日の烏賊は、ゲソまで刺身でいただいた。口の中で吸盤が吸い付く
烏賊って、やはり最高。
午前中は、福岡で長いおつきあいをいただいている、電力系の二つの会社の経営者にご挨拶。
電力系の通信事業は、完全に西高東低で、関西がダントツだけど、九州も善戦している。無線ラストワンマイルを紹介して、社宅等で実験をしてから、もう15年以上になる。当時、本体の通信部門だった方々が、いまは通信事業会社や省電力機器メーカーの経営をされていて、いろいろな研究開発等で福岡でお世話になっている。
僕は、四半世紀くらい前に、送電線故障点評定装置というのに関わる仕事をしていたので、実は各電力会社の通信部門の人とは共通の話題も多いし、電力会社の文化というのも、結構垣間みてきた。
いま、原発が停止しているために、いづれの会社も大幅な経営難になっているけど、だからといってサービス停止したり、計画停電したりできないのがライフライン産業の大変なとこだろう。
本来はエネルギーと通信というのは、両輪として電力会社の基幹事業になる可能性は高かった。震災によって露呈した原発の問題で、エネルギーがこんな状況になるとは、誰も15年前に予測できなかった。
いまの状況をみると、返す返すももっと電力系通信事業が全国レベルで成長し、そこそこの経営基盤になっていたら、原発の廃炉や代替エネルギーへの移行にも、もう少し積極策が取れたかもしれないと悔やまれる。
昼の飛行機で東京にもどり、二つ打つ合わせをしたあと、夜は元同僚らと懇親会。今週は、送別会続きだな。
たまたま、今日は二つの異なる事案で、SDN系な打ち合わせがあった。SDNやらNVやらの話は、とにかく沢山あるんだけど、ベストプラクティスというかユースケースシナリオで、ビビッと来る話しにお目にかからない。
みんな、言葉先行だったり、特定の技術要素にスティックしていたりで、利用シーンでのユーザーメリットに対する訴求がない。
こんな中、話題として盛上がると、それだけで製品が売れたりするのではと、勘違いする人も出てきて、結局は言葉だけが一人歩きしているみたい。
もっと、想像力を働かせて、ユースケースシナリオを、テクノロジー用語無しで、ちゃんと書きましょうよという話を、今日は違う場所で違う相手に何回したことか..
今夜は、元部下達が送別会をしてくれた。もっとも、元部下といっても仕事より飲みの付き合いの方が多いんですが....
2005年にアライドテレシスと経営統合し、2011年に解散したルートの創業メンバーである元部下が退職する事になった。また、既に取締役を昨年退任し、職託として業務をしていた僕も今月末で、業務契約を終了する。
そんなわけで、今日は主にルートのOB達が中心となって、壮行会をしてくれた。アライドテレシスに今も勤務している者、既に定年退職をして引退してる者、他の会社に転職した者など、立場は違うけど、ルート卒業生として沢山のメンバーが集まってくれた。
年齢も既に70歳を超えている大先輩を筆頭に、30代後半までといろいろだ。
特に、今日はルートの創業メンバーで、アライドとの統合以前に退職した先輩も参加してくれて、久しぶりにルートの創業メンバーが顔を揃えて、とても楽しい会となった。
1993年に起業したルート(Root,Inc.)は、2011年までの18年間に、実いろいろな新しい試みをし、無線とインターネットの境界域で、それなりにその存在が認知された会社だった。
そんなわけで、まぁ世間というか業界的には、圧倒的に僕は、ルートの真野さんとして認知されている。
今回、創業メンバーが皆アライドテレシスグループから離れるので、このグループに残る元ルートのメンバーには、自分だけが身勝手な事をしてというような感慨が無い訳ではない。
とはいえ、流石に経営統合から八年もたっており、また元部下も十分な職務経験を重ねて来た社会人なので、心配したりするのは、逆に失礼だろう。
それにしても、今日が最終出社日となった元部下とはルート創業以前からの付き合いだし、ベテランの先輩OBに至っては、新卒で最初に就職した会社からの付き合いで、30年の付き合いになる。
いろいろと環境は違っても、こういう長い付き合いができる関係というのは、とてもありがたいものだ。
今日、参加してくれたメンバーだけでなく、Root,Incに関わった全ての人々には、本当に感謝の気持ちで一杯だ。
朝、ディーラーによって車検が終わった車をピックアップして、高速で山梨に戻る。
昨夜の壮行会は、話しと飲みであまり食べ物を取らなかったので、朝からやたらと空腹感が強かった。我慢できないくらいだったので、石川SAで朝ラーをしてしまった。
ところが、これが胃を中途半端に刺激したのか、昼過ぎに山梨の家に到着して、まだ食欲が旺盛だった。というわけで、パンとオムレツを食べて、やっと落ち着いた。
午後からは、久しぶりにレッスン騎乗で二鞍。外乗ではなく馬場での騎乗は一月の年明け以来で、いろいろな事を思い出しながらだった。
今日は、薄曇りだったけど、気温は高くて、なんだかお相手の馬は、またーりとしていて、最初はなかなか大変だった。
まさに、春風駘蕩ってやつだろうか?
さすがに、ひさしぶりだったので、筋肉が少し張ったので、夜は温泉でマッサージして回復。
それにしても、馬は難しい...
上野原市でCATVの仕事をした時の仲間が、お味噌を引き取りに遊びにきてくれた。
今日は、あいにくの雨なので、とりあえずはお茶を飲みながら、積もる話し。といっても、完全に世間話で、井戸端モード全開だったりする。
ついでに、最近やっとスマホに切り替えた人のスマホにFaceBookの設定等をする。
そのあと、近くの蕎麦屋いちでお昼。しっかりおそばを堪能したうえに、そばアイスクリームのせ白玉ぜんざいまでペロリ。
一旦、家にもどったあと、台が原に明日つかうお土産を買いに行った。ちょうど、もどって来る途中で雨が止んで、青空に夕焼け。昼間の雨がうそのように晴れて、うぐいすの初鳴きも聞こえてきて、やはり春だと一安心。
ところが、夜になったらもの凄い風が吹き出して、春一番というわけじゃないだろうが、完全に春の嵐状態。明日は、いろいろと予定があるので、朝までには風が収まってくれることを祈る。
Dear friend,
I hope everything is going well with you.
I would like to inform you that I am leaving the Allied Telesis R&D Center K.K. by March 31, 2014.
These past eight years with the Allied Telesis group have been incredibly rewarding, filled with rich experiences on global business and much more, thanks in large part to the many talented people I have had the pleasure of working with and learning from.
My thanks to you all for your wonderful support and guidance on my job as well as on private matters.
Moving forward, I will contribute to the success of Koden Techno Info K. K. (KDTI) with my expertise and experiences.
You can learn more about KDTI at this web site.
In KDTI, I will continue my work related to IEEE 802.11 standardization and WiFi alliance activities in cooperation of KDTI.
I am fully committed to the new startup in IOT and wireless technology.
I believe this new business field will foster greater opportunities for collaboration between you and KDTI.
And I will keep you posted of the progress and new developments at KDTI.
I wish you all the very best for your future.
It has been a great pleasure to be part of this organization and I wish it all the success in its current and future efforts.
With best wishes,
Hiroshi Mano / 31 March ,2014