STAP細胞の論文について、ネットやニュースでは実にいろいろな記事が飛び交っている。中には、Diffをとって他の論文のコピーではないかというのもある。こんな中、共著者の方が、論文取り下げを求めるメッセージも流れてきた。
共同研究等により他人の研究の一部を担う事は、どの分野でもあるだろう。学会や学問によっては、もの凄い数の研究者で共同研究を行い、それを共著論文として発表するというのがある事も知っている。
実際に、膨大な数の研究者での共同実験などでは、論文そのものを自分の寄与していない部分も含めて、精査して文責を持つというのは現実的でないというのも、なんとなく納得出来る。
それでも、例えば他人の研究の結果得た何かを利用する実験をして、その結果のデータを供与した場合、少なくもとそのデータが使われてる箇所くらいは、精査するべきではないだろうか?
また、精査するかどうかに限らず、共著者として自信の名前を入れるかどうかの判断は、無断で行われない限り、自分がそれを良しとした結果だ。
もし、共著者間の信頼関係に疑義があったり、寄与したデータの信頼性に自信がなかったりしたら、その場合は、共著に名を連ねる事をやめるべきではないだろうか。
学会によって違うのかもしれないが、研究に対する寄与度に関わらず、名前を並べる傾向があるのも、とても気になる事でもある。
というわけで、僕も他の研究者に共著者になってもらったり、なったりしてるけど、今回のことは論文というものの重みを再認識する良い機会になった。
今日も一本共著の論文をレビューしたけど、これは何かあったら文責を担うことが出来る研究なので、よろこんで名前を連ねさせてもらった。