今日の午後は、ITRCの研究会に参加するため、茗荷谷の筑波大キャンパスに。僕は、茗荷谷から後楽園のほうにすこし行ったところにある、文京区立茗台中学校の出身で、この辺りは教育大学の時代によく通った。
実家は、豊島区の南大塚で、JR大塚駅の近くだったので、当時は都バスで通っていて、帰りはなにもない学校近くから茗荷谷駅あたりまで歩いたりしていた。また、僕は越境だったのでバス通学だったけど、学区域の同級生たちは、このあたりがいわゆる地元なので、一緒に遊んだりするのもこの辺りだった。
久しぶりに茗荷谷の駅に降り立って、ちょっとビックリしたのは、都バスの大塚営業所が更地になっていたことだ。もともと、春日通りは、大塚から錦糸町・厩橋行きの都電が通っていて、その車庫跡がバスの営業所になったので、なかなかに大きな敷地だった。
あの頃は、バスの通学定期とかを買うのには、この営業所で買う必要があり、ここにも何度か立ち寄っていたので、まるまる更地になっていたのは、少し寂しい。
研究会では、前阪大総長の宮原先生と、ITRCの設立発起人でもある藤原洋氏の対談もあって、これはなかなかに聞き応えがあった。
研究会のあとの、意見交換会の会場が茗荷谷の駅の裏側のお店だったのだが、このあたりも拓大や切支丹坂方面に同級生が多くいた懐かしい場所だったけど、いまや全く当時の面影はなかった。
それでも、なんか懐かしい匂いがするのは、人の記憶のなせるものなのだろうか。あの頃、茗荷谷の駅の上には、教育ビルという名前の駅ビルがあったけど、あのネーミングなんて今思うとどうよって感じだ。