今日は、朝からデュイスブルグ大学で、日欧共同研究の全体会議。ちょうどこの共同研究も、中間地点になり、いろいろなことが具体的になってきた。
この共同研究には、日本側が6組織、欧州側が5組織で、6カ国の研究者らで進めている。全体で一つの目標に向けた研究をしているのだが、実証実験などは、日本と欧州でそれぞれ行う。ここで、先端的技術の実装機器などは、沢山揃えるのも難しい上に、輸出入の規制などもあり、相互の成果物を持ち寄ることが容易でない点もある。
しかし、面白いものでいろいろと進んでいくと、結局は日欧ともに同じようなアイデアが出てきて、ソフト的な部分などは、共有化できる部分もそれなりに出てきた。
一旦ホテルに戻ったあと、夜は昨年と同じ運河沿いのレストランで懇親会。こちらは、日が長いこともあり、スタートも遅く、終わってホテルにもどると、日本が仕事の始まる時間になっていて、そこからメールやらチャットやらすると、寝るタイミングを失ってしまう。
昨日に続いて、日欧共同研究の全体会議で、朝はデュイスブルグ大学。全体の成果物などのすり合わせの確認をした後、デュッセルドルフ空港に移動し、昼過ぎの便でLondon Cityへ。 一昨日に、ドイツ入りしてから、ドイツらしい食事をする機会がなかったので、空港で出発待ちのあいだに、コテコテのドイツご飯。ブレーツェルにマスタードつけて、ビールと一緒にというのは、結構好きなんだが、日本だとなかなか楽しむ機会が少ない。
LCYからは車でCanterburyへ。Canterburyは、昨年初めて訪問したけど、本当に古き良き街。 今回は、到着が夕方前だったので、食事前に歩いて大聖堂に。あいにくと、内部見学の時間は終わっていたけど、敷地内には入れた。しかし、想像していたよりはるかに大きく広い。
夜は、当地の研究メンバーと合流して、大聖堂近くのイタリアンで会食。例によって、イギリスに来たからといって、イギリス飯ではないとこが笑える。ホテルは、昨年と同じホテルなんだけど、今回は屋根裏部屋じゃないので、メリーポピンズもライオンも出て来ない。
せっかくなので、ホテルのラウンジで、Lagavulin 16年を一杯ひっかけて就寝。
寝酒飲んでも寒すぎるの気候なのは、なんだかなぁだ。
今日は、朝から共同研究プロジェクトのメンバーであるケント大学で全体会議。午前中は、こちらの研究室の学生さんらから関連研究の発表をしてもらう。
研究室でデモを見学したあと、午後は日本からのメンバがプロジェクトに関連する報告を逐次行う。こちらは、すでに一昨日からのデュィスブルグで行っているが、ケント大学のメンバーとの共有のためにリピート。
打ち合わせ終了後、駅によって明日のヒースローまでの切符を買うために、Googleで経路検索をしたら、Canterbury-Ashford間が、バスによる振替輸送と表示されている。駅で念のために確認したら、やはり工事のためバスになるそうで、時刻は一応変わらないとのこと。日本の感覚だと、バスになったら時刻が遅れそうなのだが、こちらの人に聞くと鉄道と変わらないとのこと。とりあえずは、切符だけ買っておく。
夜は、インドレストランで懇親会。ケント大学の学生さんも、インドやアフリカ諸国、中国からの留学生が多く、今回の打ち合わせでも、いわゆるイギリス人の人はいない。カンタベリーの街は、古の古都だけど、留学生が多いので、歩いてる人も多様だ。
去年はなかったけど、今年駅近くにアジアの食材を扱っているお店が出来ていて、お米やうどん、カップうどんやスナック菓子などが豊富に並んでいた。
それにしても、想像以上に寒いのには、いささかビックリしたカンタベリーではあった。
朝ホテルを出て、Canterbury Westからヒースローに向かう。昨日、確認済みだったけど、ここの駅前から途中のAshfordまでは、振替輸送のバス。時刻表で、一本早い便に乗るつもりでいたら、結局運行されるのはその後の便のみらしく、出発が20分ほど遅れる。誰だよ、電車の時刻表通りって言ったのは....それでも、道の混雑とかはなく、Ashfordからは列車と地下鉄を乗り継いで、予定どおりヒースロー空港に到着。
例によって、滞在中はイギリスらしいモノ(そんなもの無いという人もいるけど)を食べてい無いので、空港でお約束的にフィッシュ&チップス。出発がサテライト側だったので、ラウンジによる時間もなく、ジャストインタイムで搭乗。
順調なフライトで、月曜日からのWi-Fi Allianceのメンバーズミーティングのために、テキサスのオースティンに到着。空港で、IEEE802.11のセクレタリーでもある知人とばったり。幸いに洪水の影響などは、オースティンにはないようだけど、天候は不安定で、いきなり激しい雨が降ったり、日が差したりしている。
とりあえず、今日は空港近くの宿に投宿して、夜は地元のラーメン屋へ。ちょっと時間が遅めだったのだが、広い店内も満席で、外にもそれなりに待ち行列。博多風の細麺で、まぁ普通に食べれるレベルだった。
もっとも、隣でスパイシーな真っ赤なのを食べてた、見るからにイカツイ系にお兄さんが、一口、二口食べただけで、To Go用のカップを二つもらって、それに麺とスープを入れて持ち帰ったのには、唖然としてしまった。絶対伸び切ってるぞ、それっ。
さすがに、ちょっと出張疲れが出て、午前中はホテルでゆっくり。昼のあとにジョンソンシティまでドライブして、途中のリソード施設のテラスからテキサスの大地を一望。
はっきりいって、まぁあきれるくらい大地が広い。先週までのストームで、かなり洪水の被害が出たとこも多いようだけど、今日はよく晴れている。
昼は、途中にあったカフェで、1/2lbのハンバーガー。この店の看板には、CatFishが食べ放題とあったんだけど、この辺りはナマズ料理が結構多いみたいだ。
しかし、ハンバーガーの写真をFaceBookにあげたら、そのあまりに貧相な盛り付けに、それで売り物なのかというツッコミがあった。アメリカご飯って、こんなもんなんだよね。
昔から、僕が言ってるのは、アメリカ人には二つの味覚表現しかないというやつ。一つは、Deliciousで、もう一つはTasty。これを日本語に訳すと、"量が多い"と"甘い"になるっていうのは、侮蔑的ジョークではるあが、限りなくそれを実感することは多い。
まぁ、このとてつもなく広がる大地にいたらそんなもんだよね。
Wi-Fi Allianceのメンバーズミーティングのために、 今日からAustinのダウンタウンに移動。
月曜日の夕方に開催されるセッションは、今回は結局キャンセルになってしまったようだ。それでも、日本から来ている他のベンダーなどと合流して、とりあえず情報交換。
それにしても、オースティンのダウンタウンは、ライブ演奏のあるバーだらけで、そこら中から演奏が響いてる。そんなパブに入っても、話ができないので、おとなしくシーフードレストランでディナー。かなり繁盛店で、すこし待ったけど、味付けも丁寧で、なかなかに楽しめた。今回は、懇親会ご飯か、お一人様カウンタご飯だったので、久しぶりに落ち着いてテーブルでの食事で、安らげた。
今回は、Wi-Fi Allianceの会場のホテルのグループレートが高かったので、二ブロックほど離れた別のホテルに投宿。おかけで、毎日歩くという健康的なことになる。
今日から始まったWi-Fi Allianceのメンバーズミーティングのオープニングや戦略ミーティングのなかで、スタジアムや駅などの高密度環境における話題がそれなりに言及されている。
先月のIEEE802.11でもそうだったけど、ここに来てスタジアムなどで測定したらどうだとかいう事例も、それなりに各社から出てきている。この問題は、ずいぶん前から指摘して、その解決策である802.11aiを提唱してきたわけだが、ここに来て標準化も終盤になり後追い的に認知度も上がっている。
しかし、悲しいかな高密度環境における接続品質の課題では、一番現実的に感じているはずの、日本の関係者からはそういう話しが出てこない。勿論、標準化に参加している日本のオペレータなどは、数年前に駅での測定データなども発表しているのだが、ベンダーがあまりにお粗末だ。
実際に、アメリカではスーパーボウルで10TBのトラフィックがさばかれたという報告もあるし、ソルトレイクのサッカー場のデータとかもある。
ソルトレイクの事例では、20%以上の無線LANの帯域が、本来の通信ではない部分で消費されていることが示されたし、日本のキャリアの駅での測定データでは、さらに多くの望ましくない消費が示されている。
実際に、長年の技術開発で無線LANに使う周波数帯域は拡大し、個々のデータ転送速度も劇的に改善された。これは、車でいえば高速道路のの車線(周波数帯域)が増えて、個々の自動車の走行速度(転送速度)が増えたことになる。ところが、高速道路に乗るには、まずインターチェンジを探して、次に料金所で車種確認をし、必要な料金を払って...などの手続きがあり、そこで渋滞が生じているのと同じだ。
そして、一度高速に入ったら長い間高速道路を走ってるケースは、スタジアムや教室などでの無線LAN利用形態に近く、まぁ入り口渋滞に多少はまっても、そのあとはそこそこに幸せなわけだ。
しかし、歩きながら無線LANを使うよな例は、頻繁に高速に乗ったり、降りたりするために、この渋滞の影響がもっと顕著になる。
というわけで、なんとかこの渋滞のボトルネックを解消しようと提唱してきたのだが、やっと世界では共通認識になってきた。しかし、残念ながら日本の一部のガラパゴスの人には、まだ認識はないみたいだ。
WFAミーティングの二日目は、しっかりフルセッションに参加。昨日も書いたけど、11ai FILSについての認知が上がって、それなりに導入の道筋が
見えてきたのが何よりだ。
今後は、IoTとか60GHzへの展開をどうするかが、重要な鍵なのだが、やはり日本のベンダーは、あまりに力がないので、こちらのベンダーとコラポするしかなさそうだ。
ところで、こちらでは、いろいろなところに百日紅(サルスベリ)が植栽されている。しかし、剪定が日本のようなこぶし仕立ではなくて、かなり大きく自由に咲き誇っているのが面白い。我が家にも一本あるんだけど、あれも剪定かえたらこんなに大きくなるんだろうか?
夜は、ダウンタウンにあるBunger's Sausage House & Beer Gardenで。軽くビールとソーセージドッグ。 しかし、ドラフトだけで100種類以上あるのって、すごすぎる。それにしても、ビアガーデンって、こういうんだよなぁと感じる場所だった。
世界的な電波の管理は、ITU(国際電気通信連合)という、最古の国際機関が行っている。このITUでは、世界を三っつの地域(欧州、北南米、アジア・オセアニア)に分けて、大まかな電波の利用割り当てを決め、さらに加盟している各国が詳細を決めている。
もともと、無線LANは、ISMバンドという免許不要な帯域を使ってスタートしたのだが、この帯域は幸いに三つの地域で、ほぼ同様な割り当てが可能だった。
ところが、無線LANが普及して、5GHz帯などでの利用帯域を増やしていくと、残念ながら地域によっては、他の利用との干渉などから割り当てできない部分もある。
そこで、WiーFi AllianceやIEEE802.11などでは、この免許不要の周波数の拡大や共通化について、積極的に各国の規制官庁などへロビーィングしたり、提言したする活動を行っている。
ところが、こういう活動は、いままで北米と欧州が中心であり、残念ながら日本を含むアジア・オセアニア地域は蚊帳の外だった。しかし、例えば日本でもITSやレーダーの先行利用との関係から、一部無線LANの利用帯域が制限されたりしているのは同様なので、こういう活動をアジア・オセアニア地域にも展開してほしいと、一昨年くらいからキーパーソンに提言していた。
今回、だいぶ時間はかかったけど、とりあえず各国の規制官庁関係者とのラウンドテーブルを9月にするという話しが、具体的になった。というわけで、日本の規制官庁やメーカーには、ぜひ積極的にこういう機会に参加してほしいものだ。
午後からは、今回の一連の出張の最終目的地であるサンノゼにフェニックス経由で移動。フライトは順調そのもので、予定どおりに夜サンノゼに到着。久しぶりに、当地の日本食レストランで、知り合いらと会食。
某、研究プロジェクトの関連でキャリア系の研究部門の方と打ち合わせして、5G関係について意見交換をさせていただいた。何も決まっていないとか、定義が不明と言われる5Gワイヤレスについて、立場が変わるとまったくアプローチの仕方が違うんだということが判って、かなり驚いた。
詳しくは、諸般の事情から書かないけど、基本的にまずインフラ提供者として投資的要件な部分があり、その上でサービス品質がどうなるかを評価するらしい。
あるサービス品質を得るために、どれだけの投資が必要かを評価するアプローチではないのは、かなり僕には斬新だった。ある意味で、こういうアプローチは正しいんだろうけど、なんとなく、出来ることに結果を合わせることにはならいのかなと思ってしまった。
打ち合わせのあと、別な部門の方が関係しているVRのデモで遊ばせてもらったのだが、その完成度の高さには感心する。しかし、VRでゴーグルつけて一人で何かやってる姿は、周りからみたらお間抜けだよねと言ったら、証拠写真を撮られてしまった。
某研究プロジェクトの関係で、欧州の全体会合、オースティンでの標準化会合、シリンコンバレーでの某キャリア系への訪問と続いた、一連の出張が終わり、やっと帰国の途についた。
全体会合も標準化会合も想定の範囲だったけど、最後の昨日のミーティングは、なかなかに刺激的だった。特に、5Gに対する戦略的な捉え方は、なるほどそうなのねという感じだ。つまりは、パケット交換一筋、End to Endなインターネット屋が、回線交換屋さんの本音を聞いてびっくらこいたみたいなもんだ。
フライトが午後からだったので、空港に向かう途中で少し運動して、空港。久しぶりにTSA Preになったし、SFOなのでとてもありがたいなと思っていたら、いまひとつだった。
セキュリティチェックのレーンでは、靴を脱いだりラップトップを出したりはしないかわりに、スキャンを通る時にポケットの中身を空にしてと再三職員に言われるし、注意書きも目につくところにいくつもある。
ところが、僕の数人前にいたご高齢のアメリカ人の方が、ボケットに物が入っていて、スキャナーで引っかかった。しかも、この人は、なんかポケットの沢山ついたアーミーパンツみたいなのを着ていて、どうみてもまだ何かパンパンに入ってるじゃんと思うのに、再びスキャナーに行ってアウト。一旦もどって、ポケットから何やらを出して、再チャレンジするも、まだ何か別なポケットに。というわけで、4回くらい繰り返したら、さすがに職員が横の場所に誘導して、ボデイチェックとなった。
どうも、高齢になると周りのいうことを聞かず、自分の判断基準で一方的に行動をするというのは、洋の東西を問わないのかもしれない。まぁ、ここで説明が悪いとかなんとか言って、職員に逆キレしないだけ良いのかもしれないけど....ちょっとね。
今日は、早めにチェックインしていたことで、こちらも心の余裕があるので、あらあらと思いながらことのなり行きを見守っていたのでした。
仕事は、嫌でも複数の組織や人間で行うので、その人間の間のコミュニケーションの良否によって、成果も随分と変わってくる。コミュニケーションツールも、直接会っての会話ではなく、メール、チャット、電話と実に多様ではあるが、問題を生じるのはコミュニケーションスキルなんていう洒落たものではなくて、個々人の性格に大きく依存するのが実態だ。
基本的に、自分がコミュニケーションする相手の事を、想像できない人間は、はきり言ってかなり疲れるし、結果として仕事ができないのかもしれない。
たまたま、ここ半月くらい、こういうコミュニケーション的に障害のある事案をウオッチしていたのだが、さすがに成果に影響するので放置できずに口を出したが、まったくこんな事に時間を費やすのは辛い。
僕らが仕事で使ってい情報通信の世界には、プロトコルというコミュニケーションのやりとりについての、お約束が存在し、その約束に従わないと通信が成立せずに、結果としてその通信によってもたらされるアプリケーションなりの成果は得られない。
コンピュータとコンピュータの通信では、このプロトルが明確にあるし、それに違反した時の、最低限の振る舞いも規定されてるのだが、人間同士のコミュニケーションには、このプロトルの明確な規定がないからめんどくさいことになる。
たとえば、一方的に相手の都合を聞かずに、いきなりリクエストだけを投げつけたのでは、相手の状況によっては対応出来ず、結果として仕事が止まる。 逆に、こういう一方的なリクエストが気に入らないからと言って、レスポンスをせずに、単純に無視をしたり、だんまりする人もいて、これはこれで仕事が止まる。
つまりは、いづれの場合でも、仕事の成果を得るという目的を阻害しているから、結果だけみれば仕事が出来ない、また仕事をやり難い人達な事に変わりはない。
こういう人達は、たいていの場合、第三者が中間に入って、ヒアリグしたり改善を求めると、その原因は相手にあると主張して、自身を顧みない。しかも、仕事が進まなかったり、出来ない事の言い訳だけは、沢山並べ立てる。やれ、この情報が足らないからとか、何の情報を出したのに答えがないとか云々… ってやつだ。だったら、それを直接話せよゴラァってわけだ。
そこいくと、情報通信のプロトコルは、それなりに良くできている。たとば、TCP/IPは、SYNによりまずは相手のご都合伺いをするし、802.11なんかでは、サービス側がビーコンによりサービスの存在を広告したりする。そして、意味不明の電文を受け取ったり、プロトコルに違反することが発生した場合には、エラー処理がされるかエラーがアラートとして上がってくる。
しかし、考えてみるとこういう基本的な通信プロトコルはは、人間社会で実践されてきた良きコミュニケーションを元に考案されている筈なのだが、どうも最近はリアルなコミュニケーションが出来ない人が増えているということかもしれない。
電話にしても、チャットにしても、もし即時性のあるコミュニケーションを求めるなら、最初に「いま、ちょっと良いですか?」と聞けない輩は、SYNを投げないのと一緒だ。また、電文の中身が気に入らないからといって、無視するのはインスクペクションしておきながら、NackもAckも返さないようなもので、どちらも通信の相手方としては、欠陥を抱えているわけだ。
思うに、僕の周りにいる尊敬すべきプロには、こういう低レベルのビイヘイビアのトラブルはない。結局のところ、中途半場で狭い世界にいる謙虚さを持たない技術者擬きにこの傾向が強い気がする。
それでも、そいう人達と付き合いながら、成果を求めないといけないとなると、箸の上げ下げから業務マネージーメントをすることが求められることになって、これは結構しんどいけど、それも仕事なんだなぁと...愚痴ってみる。
しかし、相手の事情を考慮するとか、とりあえず分からないなら分からないというとか、そういうのって普通の社会人の暗黙のプロトコルだと思っていてはいけない時代なのかしらん。
今朝一番の特急で山梨に一旦戻ったのだが、ちょっとしたトラブルに。まず、始発のバスが雨で遅れて、やっと来たとおもったら満員で通過。急遽、駅まで徒歩で歩いていたら、途中から別の経路のバスが合流する交差点で、幸いにもギリギリ乗せてもらえた。
こんなトラブルで、えきネットで予約していた特急券の発見が間に合わなくなってしまったため、そのままスイカで入札して、立川まで移動。立川駅で特急が来るまでの短時間に処理をと思い改札で話しをしたら、緑の窓口へと言われて、緑の窓口に。
幸い誰も並んでいなかったのだが、担当の男の人の名札に研修生と書かれていて、一抹の不安が。案の定、駅ネットの発券時刻を過ぎた発券処理で、かつ回数券利用なんていう、ちょっとイレギュラーな事は、さくっと出来なくて、別な人を呼びに。ここで登場した女性の先輩らしき人は、男の人が操作した数の数十倍のボタン操作を、次から次へと繰り出していく。それでも、乗り換えの時間が迫ってきたら、とりあえず席の確保と発券の記録はされたので、このまま乗車して、甲府駅で窓口に行ってくださいとのこと。
予定の特急に無事に乗れて、車内で車掌さんに聞いたら、やはり甲府駅でしか処理できないとのこと。無事に甲府について、有人の改札に行き、事情を説明したら、「立川駅から連絡が入ってます。全て処理されていますから、回数券だけいただければOKです。」とのこと。これは、もう想定外の神対応でビックリ。やるなぁ、JR東日本って感じだ。まぁ、過去のことは忘れて、ひたすら感心してしまった。www
今夜は、実に何年いや何十年ぶりに神宮球場でスワローズ戦(対ホークス)を観た。観たと言っても、実際は三回の攻防の1インニングだけで、ビールも飲まなかったけど、その雰囲気は味わえた。
たまたま、今日はパートナーが外野自由席のチケットをもらったので、行ってみるかということになった。僕は、高校時代にスワローズファンになって、あの1978年の初優勝のシーズンをファンとして楽しんだ世代だ。ちなみに1978年は、もし開幕戦でヒルトンがヒットを打たなかったら、村上春樹さんは小説家になっていなかったかもしれないし、4月4日のキャンディーズのファイナルカーニバルの観衆の声は、後楽園の巨人戦の歓声よりも凄かったというメモリアルイヤーだ。
今日、一緒に行ったパートナーは、阪神ファンで1985年のリーグ優勝を、この神宮のバックネット裏で観戦していた人だ。その時、僕はその姿を出張先のビジスネホテルの古びたテレビに映るプロ野球ニュースで、ちょっとムカッとしながら、でも少し羨ましいと思いながら観ていた。
そんなわけで、まぁ神宮球場にも、若かりし頃はそれなりに観戦に来ていたし、当時は私設応援団長の看板屋の岡田さんのリードで、ビニール傘を振っていたわけだ。
しかし、時が流れてスワローズの黄金時代も堪能したし、その後のまるで昔に戻ったような悲しい時代も耐えた。だから、昨シーズンに前年の最下位からのリーグ優勝というマジックがあっても踊らされず、会社が神宮球場のすぐ近くになっても、ホイホイと球場に足を向けるような事はせずにシニカルに心の中で応援だけしていた。
だから、本当に久しぶりに訪れた神宮の外野席では、完全に場違いな上に、今の選手の名前や応援のお作法も全くわからず、もう1イニングだけでお腹いっぱいになってしまったのだ。
しかし、去年子供のようにあしらわれたホークスに、接戦で良い試合をしていたし、観客も25,000人くらい入っていて、スワローズファンの方が多そうだし、なんとなく安心できる雰囲気は良かった。
それでも、歳のせいなのか、鳴り物付きの野球観戦が、どうも苦手になってしまったかもしれない。ふと考えると、数年前にアナハイムで11奪三振の快投をしたダルビュッシュを、キャッチャーの捕球の音まで聞こえるようなバックネット裏で観戦してから、あの緊張感の良さを期待してしまったのかもしれない。昔、荒木大輔や伊藤智仁が快投する投手戦を神宮で見た時の緊張感も良かったけど、大リーグの鳴り物のない観戦スタイルがもたらすものはやはり一味違うのだ。
まぁ、乱打戦と鳴り物応援というのも楽しいんだけど、どうしたって60年の某黄色のバックスクリーン3連発とか連想すると、ちょっと悔しいし...
というわけで、久しぶりの観戦は、まぁ1イニングで十分満足して、近くのイタリアンで食事。ここは、残念ながら昔の良さが無くっなってて店員の質が下がったねと話しをしていたら、案の定ワイングラスを倒されてしまった。食事が終わって、店を出たらみごにスワローズが逆転勝ちして、歓喜に浸る人たちが球場から駅に出てくるタイミングだった。
5月11日のエントリーに書いたように、先月NAISTの山口 英先生が他界され、今日はそのお別れ会だった。インターロップの時にも、関係者が追悼の会を開いたのだが、僕はあいにく参加できなかったけど、今日は参加できたのが何よりだ。
今日は、産学官を超えて600人以上の方が参加されたようで、会場は関係者であふれていた。ある意味、日本のインターネットやセキュリテイに関係する人が一箇所にこんなに集まっていたら、シングルポイントフェイラーになるらから、英さんに怒られるんじゃないのか..と余計な事を心配してしまった。
ともあれ、かれの生前になされた事の大きさ、重要さ、影響というものをヒシヒシと感じる会場だった。いろんな人が沢山今日の事を書かれているので、僕は細かい事は書かないけど、とにかくその功績に感謝するとともに、空からみてるかれに怒られないように、しっかりと仕事を続けなくてはと思う。
しかし、本当に悔しい.....
複数のチームや人で仕事を進める上で、様々なツールを使って情報の共有をする事の重要性は、広く認識されていると思っていた。しかし、残念ながら、SIとかIT会社とかいうとこでも、その情報共有化の価値観を共有できない人がいる。
たった一人、こういう人がいるだけで、情報の非対称性がプロジェクト内に生じ、余計な説明や調整が発生する。せっかく、メーリングリストやグループウェアなどを用意して、運用の定型化をしても、個別の電話やDMでこれを乱される。
こういう人は、自分の行為が深刻な問題を発生し得る可能性があることを認識していないので、その行為を改めることができないとこが痛い。
職場から、原則的に個人メールアドレスというのを排除するというのは、いろいろな人が最近提唱しつつあるけど、真剣にそれを考えるタイミングかもしれない。流行りの標的型攻撃を防ぐという意味でも、グループメールや部署名メールだけにしてしまうのは、良いかもしれないとつくづく思う。
もっとも、こいうことがわからん輩は、それでも電話とか使って、混乱を持ち込むだろうな。
チェアを務めるIEEE802.11aiは、今夜の電話会議で最後に残っていたコメントの解決案が可決された。これによって、スポンサーによる再度の書面投票という段階に進むこととも可決された。
前回のハワイ会合で、折り合いがつかずに保留となっていた事項だけど、異なる主張をしていた二つのグループが、互いに歩み寄って妥協した合意案を出してくれたので、一気に話がまとまった。
今日は、推移を見届ける意味からか普段テレカンに出てこないメンバーもちゃんと参加して、最後の採決は満場一致だった。この背景には、グループの関係者の中に、実装・導入への機運が高まってきていることがある。
昨今の無線LANは、携帯電話が端末として利用されることが圧倒的に多く、そこにはSoCと呼ばれるシステム全体を司るチップが搭載されている。そこで、新しい規格は、まず半導体メーカーがこれを採用するかが大きな岐路となる。そして、半導体メーカーが採用することになると、次はその半導体の出荷予定に合わせて、それを用いた製品(セット)メーカーの開発ロードマップが見えて来る。
11aiは、すでに大手のSoCメーカーが採用意思を示していたのだが、ここにきて製品メーカーが積極的になってきたのは、そのロードマップが具体的になってきたからだろう。
というわけで、予定では7月会合前にスポンサーによる再投票が終わり、いよいよ条件付きの承認という最終段階に入ることが期待できる。それでも、この世界は、まだ何があるかわからないから、気を抜かずにラストスパートをしよう。
今日は、サニーフィールドの仲間と小淵沢でエンデュランスの練習会。競技会で使うコースの一部を、単独で試走。競技会ではないので、一部の道路が走行できないため、14kmくらいの工程を単騎行。今日はかなり気温が高くて、日差しも強いので自分も馬同様に水分補給を十分に取りながら、ペース的には概ね予定どおりの時間でフィニッシュ。
夕方からは、今日一緒に参加したメンバーや明日走るメンバー、サニーのオーナーご夫妻らとで、反省会と称して我が嫌でBBQ。僕以外は、皆さんベテランのライダーなので、何気ない話題のなかにも発見があって、とても参考になる。
ところで、今日は拙宅には、一組のご夫婦と二人の女性の計4人が宿泊したんだけど、なんと全員が同じ苗字。さて、その苗字はなんでしょう問題ができるわ。
EverySenseでは、様々な組織や人が生成する情報を利用したい人に提供するための仕組みを構築しているのだが、この話しをするとよく受ける質問がある。それは、情報の信頼度や精度に関するものだ。この背景には、とにかく精度の高い情報が良い情報であるという一意な価値基準に囚われている人が多いことが考えられる。
しかし、本来は情報の精度というのは、その情報で何をするかという要件によって変わるはずだ。また、情報の取得コストが同じなら精度が高い方が良いかというと、その情報を処理するコストを考えると、必ずしも精度が高いことが良いとは言えないケースもあるだろう。例えば、細かすぎる情報は、マクロ的な処理では前処理に時間がかかる。
昨日は、小淵沢に出かけてエンデュランス乗馬の練習をしたのだが、その間の位置情報と加速度を、EverySenseの仕組みを使って、5分置きに取得してみた。今回は、開発中のEveryPostのAndroid版を使ってみた。
5分毎のサンプリングなので、かなり荒いのだが、それでも僕が須玉から明野のサニーフィールドに出かけ、そのあと小淵沢に行き、小淵沢の山の中へ入っていき、別なルートで明野のサニーフィールドに戻ったことは、十分に読み取れる。
一方、このデータのうち小淵沢で乗馬している時間帯のみをプロットしてみると、道路沿いの地点(牧場)から、なにやら山の方に移動して、おなじ地点に戻ってることが分かるが、乗馬のコースとのトラッキング記録としては、五分刻みというのはかなり粗いので、昨日のBlogにあげた乗馬用アプリのようなコースのトレースとして、魅力を感じない。
また、この全体の時間の間の加速度データーから単純に運動量を求めてプロットしてみると、ちょうど乗馬をしている時間帯だけ運動量の変化が大きいことが、これでも十分に分かるだろう。
これらの事は、解像度が粗い情報(データ)でも、目的によっては十分に利用価値があることの良い事例だろう。ここで、5分間隔という測定間隔だと、当然ながら端末の消費電力や通信帯域も、細かい測定間隔で連続して測定するよりも低廉化できる。つまりは、目的によっては、こういう緩い計測のほうが、コスパが良い場合もあるというわけだ。
こういうコスパとかRoIとかを考えることが、これから情報生成量が爆発する時代には、とても重要ではないだろうか?
この前、獅子文六さんの食味歳時記を読了したんだけど、その中で鮎の素晴らしさが色々と書かれていた。そんななか、季節的に鮎だぜと思っていたら、今日の会食が鮎だった。
鮎といえば、僕の実家のある大塚の花柳界には、「なべ家」さんという老舗の料亭があって、ここがこの時期は鮎を出すので有名なんだけど、なんと先週で閉店されてしまったそうだ。この店の斜向かいには、未だに蒸し釜でシャリを炊いてる「すし勝」さんというお鮨屋さんもあるし、その奥には老舗の鰻屋さん、三業通りには、焼き鳥屋さんに某お好み焼き屋さんもある。そんな、ちょっとレトロな一角のなかでも、フラッグシップ的な高級店で老舗のお店が閉店してしまったのは、寂しい限りだ。僕は、もうズッーと昔に行ったことがあるだけなので、閉店前に、ぜひ一度行っておきたかった....
どうでも良い話かもしれないけど、鮎の塩焼きにたで酢って言うのは、いったい最初に誰が考えたんだろう。蓼食う虫も好きずきとか言うけど、やっぱり若鮎には、日本酒とたで酢が、最高だった。
さくらインターネットさんがインーターロップで展示した、IoTボタンスイッチをお借りした。これは、ボタンを押すと、その情報が携帯回線を使って、さくらインタネットさんのIoTプラットホームに届くという品物だ。
今回は、さくらさんのIOTプラットホームから、この情報をEverySenseの情報流通マーケットへ接続し、ボタンの情報をくださいという人からのリクエストに対して、ボタンを押した時刻が届くようにしてみた。
はっきりいって、So What? って感じかもしれないけど、なんかこれがちょっと楽しい予感がする。いろんなとこで、いろんな人が自由にこのボタンを置いていて、それに対して男の人だけとか、xxx県の人だけとか、何歳の人だけというフィルタリングをして、"いいね!"を下さいって言ってみるとかが、イマイマできてることなんだけど、これってなにか遊べないかしらん。
本日、訪問先の某社での打ち合わせは、エネルギー関係のお話。そのなかで、四月からの電力の小売自由化って、いまひとつ盛り上がらないよねという話になった。
かつて、通信事業の自由化やインターネットの普及期には、社会問題になるような勧誘や営業展開もある盛り上がりだったけど、ああいう話はあまり聞かない。もちろん、皆無というわけではなくて、いくつかの係争的な事案はネットにも散見するけど、メディアを賑わすほどでもない。
電力は、携帯電話やインターネット回線のように、既存社会基盤に対する+αではなく、ライフラインそのものの切り替えなので、監督官庁の規制も相応に厳しいという背景もあるのかもしれない。
そして、おそらくは消費者にとっても、費用対効果が魅力的ではないというのが現状かもしれない。代替エネルギーも含めて、とてつもない事業者が参入して、それなりの投資をしてきたわけたが、果たして各社これからどうするんだろう。
我が家も、オール電化なので、営業の一つもあってもいいかなと思うんだが、そんなの来ないので、「電力の小売の自由化ってはじまったの?」という感じだ。
夕方から、福岡に移動して、協力会社と打ち合わせ。彼は、元部下で今は独立しているのだが、今回事務所を引越した。その引越した先は、彼が僕の部下だった時に借りていた事務所と同じビルというのが笑える。
今日は、イギリスのEU離脱の国民投票の話題で持ちきりだった。正直、その社会的背景や移民問題などもふくめて、僕は自らが触れている範囲の情報で、この結論にコメントできるような知識がないので、その是非については何とも言えない。
しかし、投票による集団の意思決定という意味では、この投票が50%のマジョリティで決するというのは、多数決というものの難しさを表してるな感じた。特に、今回の結果は、大変な僅差によるものだから余計にそう感じる。
単純過半数で僅差ということは、この僅かな差の人が、意見を覆せばあっさりと結果も翻ってしまうわけだし、少数意見の尊重という観点からも、この結果だけをもって、全てを決してしまうのは、仕組み上の欠陥はないのだろうか?
単純に言えば、どちらかが明確な多数(2/3)とかを得るまでは、なんらかの条件を変えての再投票とかはないのかなと思ってしまった。例えば、国民投票というのは、明確に投票権ある人の一人一票なのだが、その投票権者の範囲を若年層にも広げて再投票とか、議会による2/3の承認とかは、無いのだろうか?
もちろん、手続き的には、今後も幾つかのプロセスは、あるのだろうが、それは英国内というよりは、EU内での審議で、英国としては、この一回の国民投票が絶対的なのだろうか。
だとすると、本当にこの国民投票は、大きくて重い意思決定なわけだ。有権者がその辺りをどこまで慎重に受け止めているのかというのが、少し気になったニュースだった。
午前中は、雨が止まなかったので、乗馬もお休みして久しぶりに家でまったり。午後には雨が止んだので、重い腰を上げて、畑の草刈り。
もう、耕作は、最小限の三畝しかしていないのだけど耕作していない部分を野放しにしておくわけにはいかない。完全に手に負えないので、以前にNPOで借りて柿を植えていた二反弱の畑は、ちょうど賃借契約の期限になってお返ししたのだが、その後どうなったのか気になっているのだが、怖くて見に行けない。
今年は、どうも梅雨前の水不足の影響なのか、野菜の生育は今ひとつで、やっと茄子とかキュウリが育ち始めた感じ。いまのところ、まともに収穫して食卓に上がったのは、リーフレスタくらいで、ミニトマトもまだ数個という感じだ。
そういえば、昨年くらいから猿の来襲が減っている。このまま来なくなってくれたら、また昔みたいにジャガイモやらトウモロコシやらも作れるんだけどな...
とりあえず、今年は石榴が成年のようで、えらく花が咲いてるので、石榴の時期に猿が来るかで、判断してみよう。
今日は、水利組合の関係者は、水路の草刈りだったのだが、僕は営農していないので、出労しないで良いとのこと。その分と言う訳じゃないけど、昨日に続いて、午前中に自分の家の草刈り。とりえず、草刈り機は快調だったのに、ナイロン線の自動繰り出しヘッドが壊れてしまった。幸いに、ナイロン線で作業する部分は、概ね終わったあとだったので助かった。
ところで、ちょうど読了した「無私の日本人」という歴史小説(小説というよりは、ルポに近い) では、江戸時代の民政のあり方が、いろいろと伺える。この本には、三つの物語が収録されているのだが、そのうちの一つは、上映中の映画殿・利息でござる の原作になっている。
映画の方は見ていないのだが、史実としてはとても興味深い。ちょうど、去年あたりネットでも士農工商の解釈について、話題になったけど、やはり江戸時代というのは、身分の違いはあれども、それぞれに矜持があり、武をわきまえた、相互共助の文化があったように読み取れる。また、各藩は、幕府からは一定の距離をもった、独立自治であり、江戸期の日本は、まさに連合国だったようだ。
面白いもので、中央からの地方の農村部への民政の付託というのは、田舎に住んでみると、まだまだその名残があるようだ。今日の記事の冒頭にある水利組合なんていうのも、財産区として独立した自治管理なわけだ。
社会の生産の源が、米であり、租税も石高だった時には、農に対する民政のあり方は、いかにこれを生かすかに重点が置かれていたのかもしれない。これに対して、近代社会では、租税が通貨になり、生産の基本が米でなくなった結果、中山間地域はの農家は、尊重されるものではなく、補助されたり保護されるものなってしまったようだ。こうなると、地方分権というのが、権利を与える的な上から目線になってしまい、共助の社会ではなくなり、それゆえに、地方への権限移譲が進まないのかと気づいた一冊だった。
四年ほど前から山梨大学で、ベンチャー経営論なる講義を非常勤で担当している。学部四年生を対象にして、前期15コマの講義で、単位を出すのだから、休講はできないし、それなりに試験などでシラバスに示した評価をする。
しかし、学部の四年生という意味では、果たして座学中心にマーケティングや企業会計、コンプライアンスなどを含む、体系的な講義をすることに、二年目くらいからいささか疑問を感じはじめた。さらには、これは自分の都合なのだが、諸々の関係から時間的な対応も厳しくなってきた。
そんなわけで、一昨年の終わりに、講義の進め方や対象学部、教室などで改善できないかという打診をしたり、そもそも論で他の講師を探すことも提案してきた。
しかし、教育委員長が変わったとかで、この辺りの背景は引きつがれかなかったというか、まともに伝わっていなかったことがわかった。はっきり言って、まぁ聞き流されてたという感じだ。
そこで、今日、改めてそのあたりの話しをしたのだけど、結局のところ事務サイドは、如何に決まったカリュキュラムの範囲で落ち着かせるかということしか興味がないみたい。(まぁ、それが事務のお仕事なので当たり前かもしれない)
というわけで、打ち合わせの中で、学生に何を与えるか、どういう教育が学生にとって良いかという視点の話しは一切なかった。
正直、これは本当に学生さんには不幸なことであり、はたしてどうしたものだろうか? 前から言ってる通りで、もう出来ませんとお断りすることは簡単かもしれないけど、結果として学生にとって貴重な時間を有意に使う道を閉ざすことになるのは、なんとかしたいと後ろ髪が引かれるわけだ。
会議などの報告資料で、もう明らかに付け焼刃って判る資料にたまにお目にかかることがある。こういう資料の典型は、どこぞのHPなどから拝借した絵を、ただベタッと貼ってあるだけというやつだ。
せめて、その絵の横に、要点なり、関係性なり、自身の主張の要約なりが書かれていれば良いのだが、それさえもないものをみると、なんとも切なくなる。
はっきり言って、パワポであってもテキストで良いから、自らが咀嚼した内容を報告したり、発表する要点を、箇条書きに記載したスライドに、外部資料へのリンクでも貼っとく方が良かったりする。
ところが、どうも資料を作る=見てくれのよい絵を書くと勘違いしているのか、自分の言葉で整理できないのに、どこぞからの引用された絵だけ並べてくる輩がいる。
去年関係した勉強会では、あまりに酷いレベルで、こいう資料を用意した事務局があった。さすがに、これは酷いなと呆れていたら、どうやらそれは僕だけではなく、関係者の多くが同様に問題視していたようだ。
さて、今年度もいろいろと半公共的な勉強会というか会議に関わるわけだが、まともな事務局や取りまとめ役にめぐり合えることを祈るばかりだ。
今日は、社外取締役を務めていた多言語コールセンター事業者であるブリックス株式会社の株主総会。この会社は、僕の元部下が起業した関係で、株主兼社外取締役を務めていたのだが、とても残念なことに数年前に創業者らの不適切な経営が判明し、いろいろと混乱が続いてた。
僕は、取締役会の一員として、この経営不祥事を見つけ、それを抑止する責務を遂行できなかったことを、痛恨の極みとして捉え、経営が一定の健全性を取り戻すまでは、社外取締役に留まってきた。
今回、財務的な脆弱性が解消されたわけではないが、営業収支を含めてようやく事業が健全化されたので、この機会に社外取締役を辞任させていただくことにした。
24時間対応の多言語コールセンターというのは、インバウンドの増加、東京オリンピック・パラリンピックなど、今後さらに成長が期待される分野であるし、親会社との親和性もあるはずなので、若い人たちによる発展を期待して、引き続き外から見守りたい。
ものすごく久しぶりに、APPLIC(一般財団法人 全国地域情報化推進協会)の会合に参加。今日は、自治体Wi-Fi普及推進WGという部会で、無線LANの自治体による整備に関して、懸念や在り方について提言をお話しした。
ものすごく簡単に言うと、観光案内のように自治体が自らが主体となって情報提供をしたり、利用者とコミュケーションするサービスを行うのと、いわゆるインターネットへのアクセスを提供することの、根本的な違いが、なかなか認識されにくいのが現状の課題のようだ。
ここで、前者は、監督官庁である総務省においては、地域情報化は情報流通局のお仕事範囲となる。この場合には、サービス提供者である自治体と、その利用者という二者に主な利害関係は限定され、そこに多少の齟齬があって問題が発生しても、その派生する範囲は限定される。地域振興という錦の御旗で、公衆無線LANを産めや増やせやとすることも、観光案内が便利になるなど、この範囲ではデメリットやリスクよりメリットが大きいだろう。
ところが、後者のインターネットへのアクセスを提供するというのは、根本的に自治体が通信の仲介をする通信事業と同等のサービスをすることに他ならないわけだ。そこで、この部分は総務省では、総合通信基盤局の管掌範囲となる。ここで、忘れてはならないのが、インターネットへのアクセスを提供するということは、それによって生じる問題は、自治体と利用者の二者に閉じず、広くインターネットに接続された様々なサービスにも影響を与えるということだ。となると、自治体であれ、通信事業者相応の管理、提供責任などを負う必要があるはずだ。ところが、どうも無線LANはタダで使えて自営利用でもあるんだから、そんな煩いことは言わないで良いと安易に捉えられているのかもしれない。
実際に、某自治体では、技適の無い端末の使用について、今までに問題が起きたり、監督官庁から指摘された事がないから、とくに注意しないみたいな発言をした職員が居たというニュースもあったくらいだ。
一方で、利用者目線からは、無線LANとして提供されるサービスが、インターネットに出て行けないとしたら、不便で存在意味がないじゃないかとなるが、これも当然の意見だ。
問題は、通信事業相当のコスト負担も管理負担もしないで、アクセスを提供する事であり、自治体に身の丈を超えたサービスを十把一からげに提供することを推奨している点だろう。
自治体が公衆無線LANによって、市民や観光客に利便性を提供することは良いことなので、それに補助金を出すことは多くの賛同を得るだろう。しかし、そこでインターネットアクセスを提供するなら、それは自治体ではなく通信事業者に設備を解放することを義務化して、通信事業者にこれを利用してアクセスサービスを提供してもらう方式を推奨するほうが、適切ではないだろうか? 当然設備投資分がないので、料金体系をどうするのか、無料で良いのかなどは、検討課題ではあるが、それは決め事の範囲で済む。
さて、こういう発想に行かない理由は、このスキームの実現には、情報流通局と総合通信基盤局が連携して、共通の課題認識をし、制度設計に反映しなくてはならないからかもしれない。さらには、日々進化する技術的な進化を反映した、中長期的な整備計画となると、技術政策に関係するので、情報通信国際戦略局も関係してくる。つまりは、行政の縦割りを超えるリーダーシップが必要な状況が、今日の公衆無線LANの普及政策にはあるということだ。