今日は、水利組合の関係者は、水路の草刈りだったのだが、僕は営農していないので、出労しないで良いとのこと。その分と言う訳じゃないけど、昨日に続いて、午前中に自分の家の草刈り。とりえず、草刈り機は快調だったのに、ナイロン線の自動繰り出しヘッドが壊れてしまった。幸いに、ナイロン線で作業する部分は、概ね終わったあとだったので助かった。
ところで、ちょうど読了した「無私の日本人」という歴史小説(小説というよりは、ルポに近い) では、江戸時代の民政のあり方が、いろいろと伺える。この本には、三つの物語が収録されているのだが、そのうちの一つは、上映中の映画殿・利息でござる の原作になっている。
映画の方は見ていないのだが、史実としてはとても興味深い。ちょうど、去年あたりネットでも士農工商の解釈について、話題になったけど、やはり江戸時代というのは、身分の違いはあれども、それぞれに矜持があり、武をわきまえた、相互共助の文化があったように読み取れる。また、各藩は、幕府からは一定の距離をもった、独立自治であり、江戸期の日本は、まさに連合国だったようだ。
面白いもので、中央からの地方の農村部への民政の付託というのは、田舎に住んでみると、まだまだその名残があるようだ。今日の記事の冒頭にある水利組合なんていうのも、財産区として独立した自治管理なわけだ。
社会の生産の源が、米であり、租税も石高だった時には、農に対する民政のあり方は、いかにこれを生かすかに重点が置かれていたのかもしれない。これに対して、近代社会では、租税が通貨になり、生産の基本が米でなくなった結果、中山間地域はの農家は、尊重されるものではなく、補助されたり保護されるものなってしまったようだ。こうなると、地方分権というのが、権利を与える的な上から目線になってしまい、共助の社会ではなくなり、それゆえに、地方への権限移譲が進まないのかと気づいた一冊だった。