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2016-07-28 多数決と党議拘束

_ [仕事] 多数決

  参加しているIEEE802.11WGでは、様々な意思決定はRobert’s Rule of Orderという議事運営規則に基づき、評決により行う。技術的な内容については、75%の賛同で決議される。また、それ以外のプロセス的なものについては、50%のマジョリティで決議される。

  ここでの投票権は、一週間の会期期間中に開催される複数の個別会議のうち、75%の会議に参加することを、規定回数繰り返すことで、参加者個々人に付与される方式を取っている。つまり、投票は各個人がプロフェッショナルとして、その議決権を行使するのが前提だ。

  とはいえ、各個人がボランティアで標準化活動をするわけではなく、企業の社員として、または企業から委託されたコンサルタントとして活動し、その議決権の行使をする。実際に、大手の企業の場合には、複数の投票権者を抱えている。したがって、その投票は、企業の戦略によって、特定の票に偏ることは当然の帰結だ。これは、政治で言えば、国会議員個々人が国会での投票行為を行うのは、あくまで議員としての意思決定に基づく議決権行使であるが、党の方針や、会派の方針がその行為に対して、一定のバイアスをかけていることと同じことだ。

  この802.11では、会期中に全体会議の他に、複数の個別のグループの会議が開催される。これは、国会で言えば、本会議の他に、各種委員会があるのと同じだ。僕がチェアをしているのは、タスクグループというう一つの委員会なわけだ。

  問題は、これらの個別会議が、並列に複数開催されるため、会員は全ての個別会議に出席することはできない。だから、複数の投票権者を抱える会社は、それぞれに担当を決めて配分している。ところが、この個別会議のなかでの議決権は、個別会議毎に付与しているわけではない。つまり、国会で言えば国会議員全員が、その下のどの委員会でも議決権行使ができるわけだ。

  こうなると、個別会議で自分たちの意見を強行しようとすると、普段その個別会議を担当していない者にも声をかけて、投票権行使だけをさせるようなことが出来てしまう。こういう行為は、議決権をもつ個々人の専門的知識と、それまでの議論に基づかないもので、その行使を投票権者が誰かにより指示されることを示している。 まぁ、いわば党議拘束みたいなものだ。

  投票権者が個人の専門家であるという前提と、このような拘束的行為は、相反することになり、このような状況は望ましくない問題であり、”Dominance Issue”と言われる。

  僕のチェアをしているタスクグープでも何度か、このような投票をした組織があり、それに対して正式に問題提議がされていた。 そのため、私のグループでは、Recording Voteといって、個々人の投票を記録する方式の評決を何度かし、それらをデータとしてワーキンググループに提出してきた。

  これらの問題提議を受けて、ワーキンググループのチェアと上位組織であるSA(Standard Association)のスタッフが、この会期中に個別ヒアリングを実施した。僕も当然ながらタスクグループチェアとして、そのような拘束的行為が行われたと思うかなどの質問に答えた。

  ヒアリングのなかで、こういう行為は、国による文化の違いがあるのかねという話になった。確かに、とあるアジアの公的な研究機関なんて、投票の前に平気でメーリングリストで、動議提案するから投票に来てくださいなんてメールを出していて、それはかなり有名なくらい不評を買っていた。また、今回問題視されているのも、アジアの企業だったりする。

  この辺りは、まさに議会運営や民主主義的な集団による意思決定、合意形成に対する成熟度や教育の差は、大いにあるだろう。実際に、日本では議事運営なんてなくて、阿吽の呼吸と空気で意思決定されることが多いわけだ。

  この前の選挙でも、勝ったほうは民意だと言い、負けたほうは多数決でなんでも決めていいのかなどの論評のがネットを騒がした。しかし、これらは”多数決"という意思決定プロセスの一部の事にしか言及していない。多数決という行為は、全体の意思決定プロセスの中の、重要であるが一つの過程でしかない。そして、これらの評決に至るには、それを正しく運営するためのルールが存在する。実際に、国会でも法案提出に必要な会派の最小構成数などもあるし、委員会決議と本会議決議の重み付けもあるわけだ。ちょうど、憲法改正のプロセスだって、国民投票だけでなく、発議自体の国会決議など、いくつものプロセスがあるのだが、某放送局のアナウンサーなどは、その辺りの知識が薄く失笑されたなんてこともあったようだ。

  だから、多数決ガァ...的な、そこの浅い論評をみていと、もっと集団の意思決定について、教育もふくて社会的な素養として広く啓蒙される必要が有るなと感じてしまう。

  ちょうど、明日の投票日を前に盛り上がりを見せる都知事選挙関係では、党の締め付けとかいうネタが溢れている。もし、民主主義を標榜するならば、こういう個々人に重要な意思表明行為に対する党議拘束的な行いが、もっとも忌み嫌われるというとも認識しているはずだけど、どうもそうではない方が多いのも残念だ。

  というわけで、標準化という場所は、技術的なことよりも、こういう意思決定プロセスなどを学ぶのにも、とても良いとこだったりする。だから、ぜひもっと日本の官僚やマネージメントな人には、リソースを割いてもらいたいと思うわけだ。


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