今日の午後は、SIPの補正系の委託業務のキックオフミーティング。スマートシティ、パーソナルデータ、地理空間の三つの分野が対象の案件。スマートシティとパーソナルデータについては、アーキテクチャ設計という業務と複数の実証実験業務が同時に展開される。
しかし、アーキテクチャの設計しながら実証実験同時にするってさ、コンカレントデザインとかアジャイルとかとは違って、かなり無理筋なんだよなぁ。でも、限られた予算と日程で、ある程度の方向性を見出すには仕方がないということで、とにかく竹槍で進むしかない。
今日もパーソナルデータについては、いろいろな検討会でご一緒する方々が多くて、プライバシーの話しも、やはり思うとこというか懸念は一緒だなという発言もあって、納得感はあった。
しかし、スマートシティは、根本的に目指す姿を共有しないとまずいなとつくづく思う。自動運転にしてもシェアライドにしても、他国が定義しているスマートシティ=アーバン という構図だと、日本はちょっと違うんじゃないかという側面もある。
例えば、東京でタクシーの配車アプリ使うと、配車予約したタクシーが来る前に、何台もの空車が目の前を通り過ぎる。でも、地方だと、配車アプリのメリットは、ものすごくあると思うわけだ。
一方で、都会では、自動運転車両と交通管制系がデータ連携すると、いわゆる事後監視的な安全管理から事前コントールな安全管理に移行して、横断歩道への暴走車両のツッコミなんていうのが減るなんてことも期待できる。もちろん、田舎にだって横断歩道はあるけどね....
でっ、いろいろとスマートシティ絡みの話しをしていると、地方こそ欲しいサービスもあるよなと思うので、シティではなくルーラルのスマート化って逆張りがいるんじゃないかと感じるわけだ。でも、これって、昔散々やった地域情報化の延長みたいだ。僕は、自分が田舎に住んでみて、都会人の都会人による都会人のための地域情報化という構図が見えてしまい、その世界から距離を置いたのたけど、また同じことにならないことを祈る。
夜は、某地方でまさにSmart化をガツガツに攻めている仕掛け人とDTAの理事と三人で会食。飲んだお酒が川口納豆っていう、日本酒の天敵な納豆ネーミングという逆張りだった。
先週の骨密度検査の結果を受けて、整形外科の診察。やはり、骨密度の低下が激しいので、その原因がホルモン治療の影響だけなのか見極める必要があるとのこと。原因として甲状腺異常などもありうるとのことで、急遽内分泌代謝科の診察も受ける。もっとも、今日は問診だけで、血液検査をしないとなにもわからないらしい。本当は、安静採血という手法をするとのことだが、あいにく予約が塞がっているので、まずは普通の採血でスクリーニングしようということだ。ちょうど、来週は泌尿器科の定期検診で採血するので、これと一緒で良いとのこと。なんか、本当に検査ばかりだわ。
先週、更新手続きをしたパスポートの交付を受ける。1979年に初めてパスポートを得て、インドネシアに行ってから、計7冊目のパスポートになる。大きさは、最初の3冊が大きいタイプで、4冊目からが今のサイズ。小さいサイズの最初のは、このサイズでは唯一有効期限が五年の濃紺。というわけで、5年有効期限のもの4冊、10年有効期限のもの2冊が役目を終えた。
そして、今回も、なんの躊躇もなく10年の有効期限を選択。あと10年は頑張って元気に海外渡航をこなすつもりだ。
それにしても、過去のパスポートは、渡航先のビザや入出国のスタンプがしっかりとあるので、どこに行ったのかも思い出せる。でも、最後の一冊は途中から日本や香港などの入出国スタンプがなくて少し寂しい。しかも、最近はページを丸々使うようなビザの国も少ないので、増補することもないだろうな。最初の渡航の時の、いわゆるイエローカードと呼ばれた予防接種の証明書なんて、あれ以来まったくご縁がない。
ところで、外務省とかに問い合わせると自分の入出国記録とかって、もらえるんだろうか? もっとも、日本の記録だけでは、どこに行ったか判らないので、なんか別な方法で自分の渡航記録をサクッと手に入れられないのかしらん。
今夜は、新卒で就職した時の上司と大学の研究室の先輩で2年先に就職していた先輩、Root,Inc.の創業メンバの一人と、久しぶりに会食。いろいろあって、一時期全員Root,Inc.で一緒に働いていたりもする。元上司の方は、来年は喜寿を迎えるのだが、数年前に難病に罹患して治療を続けられているとのことだが、わざわざ今日は新宿まで出てきてくれて、昔話に花が咲いた。
そんな中で、先輩から昔話で突っ込まれたのが、当時客先での打ち合わせが長引いて帰社するのが遅くなった時に、僕が先輩に伝言を頼んだ件だ。その当時、新宿の三井ビルにオフィスがあって、僕は彼女とビルの一階で退社後に待ち合わせをしていた。しかし、帰社が遅くなってしまい、会社に電話したついでに、先輩に彼女への伝言を頼んだ。先輩は彼女と面識もないので、会社の社名の入った封筒を持って、彼女にコンタクトをしてくれた。しかし、そもそも彼女に連絡が出来てなかったのだから、同じ会社の人がいきなり声かけてきたら、きっとびっくりしたんじゃないかと、いまにして思う。
いまなら、携帯があるから、こんなことはないんだけど、あの頃待ち合わせとかして、予定が崩れたりしたらどうしていたんだろうか、うまく思いだぜない。
まぁ、きっといろんな意味で時間に対して緩かったのかもしれない。
昨夜は、新宿の会食で少しだけ飲んでしまったので、甲府の駅前のビジネスホテルに投宿して、今朝須玉に戻った。せっかくなので、家に戻る前に、明野のリンゴ農園で、紅玉を購入。そして、今日も馬用にハネモノをいただいたので、とりあえずSunnyに馬用を置いてから帰宅。
家で事務仕事をこなして、夕方前にまたSunnyに寄って、Aliceの調馬策運動。いやー、なんか少しずつ逞しくなってきた感じがする。こちらは、相変わらず体がはっきりしないので、今日も騎乗は無しなのが辛い。
ところで、Sunnyの場つなぎ場には、大量の赤とんぼがつがいで飛んでいた。これが、交尾した状態で、地面の水気のあるとろに、尻尾の先端を擦り付けるような動作をずっと繰り返していて、なかなか不思議な光景だった。コンクリートのとこなので、そんなとこに卵を産み落としても、残念ながらうまく残らないとは思うんだけど、とにかく一生懸命だ。
そんな産卵行為を見たからじゃないけど、夕飯の食材を買い出しにいったら、子持ちの鮎が売っていたので、夜は七輪で塩焼きにして堪能。こちらの卵も、鮎の期待とは裏腹に、僕の胃の中へ。卵の行方って、なかなか厳しい世界だわ。
昨日、明野で買ってきた紅玉を、ひたすら切って、ジャムに。なんだかんだ芯を取って、扇型に切った状態で2kちょっとになった。グラニュー糖と仕上げにアマレットを足して、大小取り混ぜて、9瓶の完成。煮てるときに、ちょっとつまみ食いしたけど、やはり紅玉は酸味がしっかりあって良い。とりあえず、時間がなかったので、アップルパイは、今日は無し。
夕方前にSunnyに顔だしてAliceとPooにご挨拶。Sunnyの牧場横の胡桃は、今年もたくさん実をつけてるので、また胡桃拾いをしなくては。田舎にいて良いのは、本当に季節ごとに色々な食材が、とてもリーズナブルに手に入ることだ。そして、それらを加工するのも、手間がかかるけど、それはそれで楽しいものだったりする。
だけど、海鮮モノの入手が簡単でないのが、山梨の悲しいところ。昨日、甲府の中央市場の場外といっても、小売している海鮮の店は一件しかないをのぞいたけど、そそるモノがなくて何も買わなかった。築地が移転してしまい、去年はカラスミを作れなかったけど、今年は豊洲に行ってみようかな。カラスミの色も、紅玉の色も、自然界の美味しいものは、みんな綺麗な色してるんだよね。
今日の午後は、来日中のIDSAのCTOと面談。今後の連携を模索する上でのヒアリング的意見交換をした。そのあと、DTAの技術基準検討委員会に参加。最近、ブラットフォームとかアライアンスとかで、自律分散的なプラットフォームの構築を目指す時に、あまりに技術オリエンテッドというか学際的理想により過ぎるてるのではと感じることが多い。
もちろん、要素技術であるAPIとかプロトコルとか、フレームワークの標準化という技術的取り組みは不可欠なんだけど、それだけで協調基盤というか社会基盤は出来ない。自律分散協調の代表であるThe Internetでも、例えばドメインにも経路にも一定の階層的構造はある。こういうコアとなる階層があり、それを中立、公平的に管理、運営する仕組みがあって自律分散協調は成り立つ。さらに、その発展過程では、Interopに代表されるような実装の相互接続の確認のための、協業という取り組みがあり大きな役割を果たしてきたわけだ。
データ流通に関しては、残念ながらこの辺りの視点がまだ十分に醸成されていないと感じる。いま顕在化しているのは、自動車や気象、宇宙など特定ドメインのデータ共有の仕組みであったり、情報銀行の連携への取り組みであったりに閉じている。例えばは、人流データなんていうのは、スマートシティから生成されるデータやMaasから提供されるデータとマッシュッアップすることで、新しい価値を生むと思うのだが、そういうクロスオーバーがない。
これを、みんなが同じ技術と標準を具備さえすれば、自ずと繋がるというのは、たぶん幻だろう。そこには、なんらかの上位階層的なプラットフォームが必要だろう。
ここで、大事なのはこの上位階層は、そこを共有するドメイン毎の参加者と競合してはならないことで、となると限りなく限定された機能の提供に閉じる必要がある。こういう部分に目を向けた議論は、なかなか技術側からは出てこないので、もっと制度的な視点の議論を加速する必要があると感じた1日だった。
今朝は、台湾の経済局や台北コンビュータ協会らのミッションの方が、DTAを訪問。僕のは仕切りが悪くて、時間がかなり詰まってしまったのだが、なんとか今後の連携へのキッカケになればと思う。
いつものこどけど、諸外国のこういうミッションの人達との会合で思うのは、日本に比べて圧倒的に女性の比率が多いことだ。今回のミッションも、リーダーも、アレンジも女性で、スタートアップのピッチでも、女性CEOの素晴らしいプレゼンが聴けた。
昨年、欧州との共同研究の評価委員会の時に、フランスの評価者が研究提案者のチームのジェンダーアンバランスを指摘することがあったけど、欧州と比べても日本以外のアジアの方がバランスは良いと思う。
この背景は、長い家長制度や武家社会という歴史的背景や、そこからのスタートした政治的な背景もあるのだろうが、こういうアンバランスに普通に違和感を感じる世代へと世代交代が進めば変わるのだろうと期待したい。
今日は、3ヶ月毎の定期検診。骨密度低下の原因を探る内分泌診療科のリクエストもあり、いつもより多い6本の採血からスタート。僕は、血管が見づらくて、いつも左右両方の腕を見比べたり、採血する場所を探したりされるのだが、今日の看護師さんは、まったく迷わずにサクッと採血。こんなに綺麗にスムーズに採血されたのは初めてかもしれない。
肝心の泌尿器科主治医の診断では、 PSAの再上昇も無く一安心。合併書の放射性膀胱炎については、ここ一週間はだいぶ痛みが和らいでるのだが、念のためにご相談。内視鏡の写真からは、それほど深刻ではないので、排尿を楽にする α遮断薬(パルミール)を処方されて、様子見というこになった。3ヶ月毎のホルモン皮下注射をした後、放射線科で問診。こちらでも、典型的な合併症だけど慢性化しないのであれば、飲水量を増やして様子見とのこと。高圧酸素療法などを、今の時点で取り組む必要はないとの結果だった。
それにしても、この3ヶ月毎の検診は、いつも結果がでるまでが精神的な不安に襲われる。ホルモン療法は、骨密度低下やホットフラッシュなどもあり、早くやめたいと思っていたのだが、再発と転移の可能性を考えると、とても止める勇気はない。どっちにしても、将来的には去勢対抗性が出てきてPSA再上昇という可能性はあるのだから、いまは素直にこの治療を進めるしかない。
日曜日の朝に、羽田-セントレア-ヘルシンキ- タリンという旅程で、エストニアに出張なのだが、どう考えても台風19号の影響がある。とりあえず、今日の午前中に、羽田-セントレアが欠航となることと、東海道新幹線も計画運休となることが判明。ということで、唯一残された方法は、今日中に名古屋へ移動することしかない。
ところが、今日は、朝から打ち合わせが立て込んでいて、どうにも夜の新幹線移動になる。その上、外出先での打ち合わせなので、事務所にあるパスポートをピックアップし、夕方に一旦帰宅して旅行荷物を用意して、それから東京駅に行く必要がある。
なんとか、昼間の武蔵小杉から汐留の移動途中に、外苑前の事務所に立ち寄ってパスポートをピックアップ。夕方、霞ヶ関の某省での打ち合わせは、要件だけを明確に伝えて短時間で終わらせて、武蔵境に最短経路で戻る。武蔵境の駅では、幸いタクシーがさほど待たずに乗れたけど、戻りは絶対タクシーなんて来ないので、そのまま待機してもらことに。なんの準備もしていないけど、一週間の旅程なので、適当に着替えとかをスーツケースに突っ込んで、10分くらいで再びタクシーで武蔵境に戻り、中央線で東京駅に。
すでに、東京駅からの新幹線は、午前中の時点で指定なんてまったく空いてないことが判っていたけど、東京駅の新幹線乗り場は劇混。とりあえず自由席特急券を自動販売機で発券して、解放されている改札からホームに。ホーム上も長蛇の列だけど、指定席車輌の通路に立ち席で乗れるというので、後方の号車に並ぶこと小一時間で無事に出発。なんとか、日付の変わる前に、栄のビジネスホテルにチェックイン。
本当に、綱渡りな1日だったけど、果たしてこれが報われるかは、日曜日の朝までわからない。
明日のセントレア発の飛行機に乗るために、2日も前から名古屋泊。せっかくなので、名古屋でなにかと思っても、台風の影響でなにも出来ない。しかも、投宿しているホテルは、とても小さくてシンプルな作りのビジネスホテルなので、飲食店などは無い。
というわけで、昨夜チェックインした直後に、近くのコンビニでサンドイッチとカップ麺を入手しておいたので、今日は1日これで過ごす。どっちにしても、無慈悲なお仕事は溜まっているので、これ幸いと事務仕事。
しかし、ホテルの宿泊客は、他にやることないのは一緒なので、ネット回線が遅過ぎで、テザリングで凌ぐことに。それにしても、今回の台風は、半端なくて、ニュースにひたすら驚愕させられる。
夜は、名古屋は雨も止んだので、ネットプリントをしにコンビニに。いやー、プリンタ使えるのは嬉しいわ。この調子なら明日は飛ぶかな。
今回は、急遽ホテルを予約したんだけど。名古屋の地理に疎いので、あまり考えずに選んだのが、栄の駅から徒歩2分くらいのNHKの裏だった。ぎゃっ、これって名古屋駅から遠いじゃんと思ったら、セントレアに行くバスのバスターミナルが直ぐ横で、逆に便利なことが判った。
まてよ、コンビニ行ったりするので、完全な密閉じゃないし、監視されていないのは、缶詰と言わないのか.....とふと思った。
基本的な僕の中での自己規制の一つに、新しい事を二つ同時にしてはならないというのがある。これは、プログラムやハードの開発をしていた時に身につけた規則で、実装において機能や性能の確認、うまくいかない時の切り分けなどの観点から生まれた。でも、これって、研究開発だけじゃなくて、仕事全般での適用ができる話しなので、いつも何かするときに頭のなかにう浮かぶチェックポイントだ。ちょうど、某ドラマで多部未華子さん演じる主人公の脳内に「うさぎを追うな」のテロップが浮かぶのと同じ感じで、「新しい事を同時にやるな」と浮かぶわけだ。
ところが、今回の出張は、まぁ見事に新しい事だらけだ。出国2日前からの移動待機、セントレア中部国際空港、更新したパスポート、フィンエアー、フィンランド/ヘルシンキ、エストニア、海外研修というパッケージへの参加....と、全て始めてのことだったりする。
そんなジンクスを気にしながらも、今朝は普通にセントレアへのバスも運行されていて、多少混雑はしていたものの、チェックインも問題なし。フィンエアーは、昨日、今日ともに通常運行だったけど、今朝の羽田からの乗り継ぎの人はどうにもならなかったわけだ。したがって、搭乗したフィンエアーは、結局は羽田から乗り継ぎ客がいない分、いささか空席がある感じだった。
EUへの入国時に新品のパスポートを出したら、最後に欧州に入ったのはいつかと聞かれた。サクッと思い出せなかったけど、こういうことは想定して携行していた一つ前の古いパスポートを掲示したら、職員もニッコリでクリア。
ヘルシンキに3時前に無事に到着。今回は、パッケージ化されているので、空港に現地の通訳の方がお迎えに来てくれているという、とてもありがたい状態。エストニアへの船の出発まで時間があるので、シベリウス公園や国会、大聖堂などのある観光スポットを回ってから、フェリーターミナルへ。まだ待ち時間があったのだが、日本からラグビーのビッグニュースが舞い込んできたので、ターミナルのWi-Fiで関連するニュース動画などを見ていたら出航時刻に。フェリーは、10階建くらいの大型船で、なかのカフェで遅めの食事。2時間くらいの旅程なんだけど、せっかくだからキャビンのベットで仮眠をして、無事ににエストニアのタリンに到着。こちらでも、現地通訳さんがお出迎えしてくれて、ホテルに予定通りに到着。
ボストンから先入りしている仲間とチャットで、とりあえず明朝あうことを確認して、やっと就寝。長い1日が終わった。
今日からエストニアの電子政府の研修。ここ数年エストニアの電子政府については、実に多くの人が官民問わず視察したり、その報告を発表したりしているわけで、僕はまぁ何周も遅れて調べにきました状態。
本来、13名の参加と添乗員も同行と予定されていたのだが、台風の影響で今日の参加者は、4人のみ。それでも、現地側のプログラムは、全て予定どおり実行される上に、参加者であり主催側でもるMさんが、元エストニア大使館の職員だった方なので一安心。
というわけで、今日は午前中がホテルのセミナー室での講義からスタート。まずは、エストニア外務省の方のご挨拶のあと、電子政府の取り組みを支えるナレッジセンターであるアカデミーのシニアエクスパートの方のプレゼン。
そのあと、電子政府のコアであるeIDのコンセプトと実装の説明、さらには官民協調であるPPPの取り組みと、計三つのプレゼンテーションと質疑。その後、場所をe-governmentの広報施設のある空港近くのビルに移動してランチ。ランチのあとは、実際の電子政府のサイトを使って、電子政府のサービスの実態やデータの相互参照の仕組みの解説をうけ、最後にこれらによる投資効果の総括的なプレゼンを受ける。
基本的に、取り組まれているシステムは、もの凄くシンプルなので、技術の話しや実装の話しは、どうしても繰り返しになるが、その背景には、国民性や長い歴史的な背景から来る、民主制に対する良い意味での拘りを感じる。
そして、何よりも133万人という東京都の7分の1の人口という、コンパクトさと、独立によるリスタートという環境の強みを感じる。
今日の研修の範囲から感じるのは、日本で進められいてるスマートシティな話ししのロールモデルとして、自治体や地方都市への参考になる部分が多くある。もちろん、その根幹の部分は、国全体として参照すべき取り組みでもある。
また、官デ法やデジタル手続き法やCSTIでの取り組みなどは、いままで多くの関係者がここを訪問しているので、それなりに影響を受けていることが、端々に垣間見えた。
1日目の研修を終えてホテルにもどり、今日の参加者全員で旧市街のレストランで食事、その後、Mさんの案内で、隠れ家的なビールバーで、1日を振り返って解散。
エストニア電子政府の視察・研修の2日目は、まず旧市街の一番高台にそびえる首相官邸へ。まずは、有名な官邸のバルコニーから、幸いに綺麗な青空の広がる市内を一望して記念撮影。
その後、実際に閣議が開催される会議室にて、閣議と閣僚会議とにおける電子政府システムの利用方法やその効果などのレクチャーを受ける。しかし、気持ち良いくらい明確な方針と割り切りがあって、議会の運営規則や位置付けも、とても鮮明なのは驚かされる。
国会で初めてiPadが使われたとか、ペーパーレスの会議が開催されたとかいうのが、ニュースになるレベルとは、まったく違う世界がここにはある。
内閣府のあとは、e-Government Academyのオフィスで、電子政府の基幹システムのアーキテクチャや、その背景にある法的な視点からの解説をうける。電子政府のシステムのなかでは、当然ながらまさに個人情報そのものが目一杯扱われているわけで、日本的には国民番号制的議論になるとこだが、そういう懸念やブライバシーガガガなネタは、まったく出てこない。
この背景は、やはり政府に対する信頼と、電子政府システムの透明性が与えるメリットが、いたずらな漠とした不安よりも大きいからなのだろう。
昼食のあとは、エストニアのIT企業を二社ほど訪問。一つ目の会社は、言わばシステムインテグレータで、コンサルからシステム、運用までという、最近ロンドンでの上場が話題になっている、日本のIoT系の会社と同じようなコンセプトプレゼンだった。
二つめの会社は、いわゆる宅配ロッカー的なソリューションのベンチャーで、こちらは、日本へのビジネス展開を期待しているとのことだけど、まぁ既存の競走が厳しい世界のようだ。
夜は、今日から参加した方と4人で旧市街のレストランで、エストニア料理。Leib Restoranは、旧市街の奥まったところにあり、とても静かなお店で、なかなか素敵だった。
エストニア研修の3日目は、まずスタートアップ支援のコワークスペースの見学から。WeWorkの問題で、この業界のビジネスモデルそのものも、いろいろと騒がれているけど、そんな影響はここにはなさそうだ。
電子政府のと取り組みは、スマートシティのアーキテクチャの参照モデルになるけど、こういうスタートアップ支援とかアカデミーのような人材の育成も、持続性のために必要な要素で、アーキテクチャ設計が示すべき一つの視点だろう。
二つ目の視察は、エストニアの情報登録局で、日本ではさながら法務局のようなもので、法人登記の手続きを実際にサイトを使いながら説明を受ける。基本的には、とにもかくにも全て同じ仕組みで、アプリケーションが違うだけというのが、電子政府のとてもシンプルな部分だ。
昼を挟んで、eGAでヘルスケアのeHealthのデモと説明。こちらは、AIホスピタルでも参照したいモデルだ。エストニアでも、電子政府以前に、各病院に異なるカルテがあり、電子カルテ的なものもあったわけだが、基本的にそれらを変えるのではなく、コンテキストとアクセス権の分離により、うまく移行が進んだというのも、割り切りの良さだろう。
ところで、今日までに何回か日本のマイナンバーが、エストニアの人から引き合いに出されている。これが、どうも勘違いがあるようで、日本のマイナンバーカードには、多くの情報が記録されているような言われ方をしている。この辺り、日本からの情報がなにか謝って伝わってるのではないだろうか? もっとも、日本でも内閣府が説明ページを作っているくらいだから、なかなか分かりづらいのかしらん。でも、エストニアの関係者、この道のプロばかりなのになぁ。
エストニアの電子政府の視察研修の4日目。今日は、まずは統計局を訪問し、幹部自らが電子政府の持つデータから導出される各種統計データの利活用についてプレゼン。いままでは、とにかくデータの利用というよりは、電子政府のサービスの話しがメインだったのだが、ここでやっとデータの利活用的な話が出てきた。
このあと、シェアライド系の現地のユニコーンであるBoltを訪問したあと、タリン工科大学のイノベーションセンターへ。日本からの留学生が15人在籍しているとのことで、思ったより日本人がいるんだなぁと思った。
最後は、再びアカデミーに戻って、独立から今日に至るまでの歴史的な流れのレクチャーとアーキテクチャのレクチャ。これで、アカデミーの研修は、ひと通り終了。今回の目的は、電子政府の中での個人情報の扱いやスマートシティのサービスアーキテクチャの調査だったのだが、本当に良い意味で収穫の多いプログラムだった。
面白いのは、たくさんの政府関係のプレゼンテーションが統一されたデザインのスライドを使い、典型的な風景写真はもとより、フォントやロゴやアイコンも統一されていることだ。これらのリソースは、オープンに民間でも使えるとのことだ。そして、内容的にもハイライトすべき訴求ポイントや数字もブレがない。
結局のところ、この4日間で、15の電子政府系のプレゼンを受けたのだが、そのファンダメンタルな情報は重複している。逆にいえば、統一された基本的なデータやコンセプトという根幹については、繰り返し聞かされるのでとてもよく理解できる。その上で、内閣府、法務局、統計局、医療関係などの異なる視点での関わりなどが示されるので、各々のセクターでの細部も際立つ。
もっとも、本当にそのコンセプトも技術的な取り組みも、シンプルなので、常にそこを頭の隅に置いておける。こういうのは、まさにアーキテクチャなんだよねと感じる。
アカデミーでの全ての研修が終わったら、最後に修了書を用意してくれていたのが、やはり電子政府を国家として自信を持って進めていることの証だろう。
今回宿泊しているホテルは、ソビエト配下の時に外貨獲得のために建てられたものなのだが、そこにはKGBの拠点があって諜報活動や市民の監視が繰り広げられていたそうだ。というわけで、その歴史や見つかったスパイ道具などが、規模は小さいけど展示されていて、ガイド付きのツアーが行われている。というわけで、夕食前に研修参加者全員で、このツアーに参加。展示物自体は、あまり整理されていないけど、写真パネルをもとに歴史的な流れを説明してくれるのは、とても面白かった。しかし、まるで大昔の話しのようにおもうけど、1991年のソ連邦からの独立がつい最近のことだというのは、なんか実感が伴わない。
某省の知り合いが、たまたまタリンに来ていることが、今日の朝にわかったので、連絡をとりながら、夜に軽く情報交換。諜報活動しなくても、今は SNSであっさりと行動監視が出来てしまう。とりあえず、KGBのオフィスフロアから街中の写真を一枚。こんな事を当時したら、あっという間に逮捕されたのかもしれない。まぁ、逮捕されてもきっと西側からジェームスポンドが助けに来てくれのだろうけど、残念ながら今はボンドも他界されたてしまい、古のスパイの時代は遠くになりにけりだな。R.I.P.
今日はエストニア視察・研修の最終日。すでに、政府系のeGAなどの訪問は昨日までで終わって、今朝はタリン大学のインキュベーションセンターと、こちらの民間のIT企業を訪問。インキュベーションセンターは、まぁよくあるパターンで、特段の特徴は見出せなかったけど、特定の地域にセクタライズしているのは、日本が真似できないことだと思う。
最後の訪問先で、初めてシステムのエラーやトラブルな話が出てきた。昨日までは、基本的に良いお話ばかりだったので、なかなかリアルな話が最後に聞けたのは、なんかちょっと一安心。
昼前に全ての予定が終わって、すぐ近くの空港へ移動。チエックインしようとしたら、なんと予約が無いとのこと。電子チケットの控えでは、全てコンファームされているので、まったく訳がわからない。とりあえず、チケッティングカウンターでないと判らないというので、チケッティングカウンタへ。ここでも担当が電話でどこかに問い合わせても理由がわからないので対処が出来ないとのこと。この時点で、予定のフライトの出発時刻まで50分という危機的な状況。
今回は、研修ということで、航空券もホテルも日本の旅行代理店がバッケージしていて、添乗員までついてる。ところが、出発日の台風の影響で、添乗員殿はなんと水曜の夜に現地入りして、実質昨日と今日だけ同行しているという不思議な状況。
チケッティングカウンタでは、結局とにかく飛行機に乗りたければ、同じスケジュールの新しいチケット発券するので、それを買えとのこと。もう時間的にそれしか選択がないので、件の添乗員さんに悩んでても何も解決しないから、まずはチケットを買ってもらい、なんとかヘルシンキへ。
ヘルシンキの乗り継ぎカウンターで、事情を説明したら、なんとオリジナルの予約はちゃんと生きていた。というわけで、無事に予定通りに帰れることに。
それにしても、添乗員さんは、乗り継ぎカウンターで順番がきたら、カウンタのお姉さんに"Thank you for waiting"って言っちゃうとても残念な語学力。とうぜん、まともに説明も出来ないので、交渉も説明も結局自分でやることになったけど、まぁ余計なチケットの購入は、代理店のカードで負担でしてもらったので、同行してもらった意味はある。これは、どうせリファンドされるだろうけど、自分のカードで一度でも支払ったら、その後の手続きが面倒なので助かった。
それにしても、せっかく電子政府のサービスがワンストップで便利なお国ですという話を散々聞かされたのに、電子政府の外側のサービスでは、こういうトラブルが起きるわけだ。これって、eIDとってないからなんてことは関係ないけど、なんかちょっと残念な最後だった。
ヘルシンキでは、無事に予定のフライトに騎乗して、関空経由で羽田にすんなりと思っていたら、まだチケット問題は解決してなかった。関空から羽田のチケットは、ヘルシンキで代理店の添乗員さんが急遽購入したチケットで、もともと出発前に買っていたチケットは、やはり無効になっていた。
添乗員さんは成田経由ですでに同行していないので、関空から今回の手配をしている某大手印刷会社配下の旅行代理店の担当に電話。まったくやる気が感じない対応で、もう本当にうんざり。結局は、関空から伊丹にバスで移動して、伊丹発で羽田に戻ることに。結果的には、元の予定より早く東京には戻れたけど、本当に酷いエージェントのオペレーションだった。
普通、複数の経路の旅程を購入している場合、その途中のセグメントを使わない場合には、かならず他のセグメントの予約の有効性を確認することは、素人でも旅慣れている人は知っている。今回の場合、最初のセグメントである羽田>中部が台風の関係で使えなかったのだが、そういう場合には、ちゃんと航空会社に確認すれば、こんなことはまず起こりえない。つまり、あまりに代理店が素人というかやるべき事をしていないというわけだ。
しかも、なぜか全旅程の最後の2日だけに遅れてやってきて参加した添乗員さんは、空港の説明も職員とのやりとりも、確認の仕方もかなり辛いものがあって、新規購入したチケットも、二重に僕の名前の予約が入っていたようだ。でも、その事を件の添乗員さんは、元のチケットの予約が残っていたと聞き取ったらしい。やれやれ。
まぁ、旅にアクシデントは付き物だけど、一応プロフェッショナルであるはずの、旅行代理店というのが、こんなに機能しないのに、存在していることには、ひたすら驚いてしまった。
旅の終わりよければ全て良しとしたいので羽田からの帰りは、もう頭を切り替えて、あの小さな小さなエストニアという国の、中々に素敵な人達の取り組みを振り返っていた。
ところが、日本からのメールには、もう電子政府とか働き方とか、スマートとか言う言葉が、まったく陳腐に思えてしまうメールが舞いこんでいた。いま、進めている国ブロの予算執行団体からの通達で、原則としてテレワークを認めないので、労務費の計上が出来ないというものだ。
ちょっと待って、これはもう明らかに国の方針と反しているし、しかも予算の元になった省庁ではテレワークを推奨しているじゃない。さらには、研究の主幹である行政側が指定した検討会において、指名された有識者はリモートで参加している。実際に、リモート参加がなかったら、まともに有識者会合だって開けない。
というわけで、この通告をしてきた担当者に、もし本当なら明確に文章で指導してねと言ったら、今度は、それはリスク管理部門からの要求なので、直接にそちらに問い合わせてくれとメールしてきた。こういう、無責任な伝書バトが飛び回っている国では、電子政府なんて程遠いのではないだろうか?
某政治家の質問通告が話題になってるけど、ちょっと突っ込まれたら、たらい回しにたり、責任の所在をずらしたりするのって、本当に生産性が悪い。こんなことしてて、本当に大丈夫なのかよと泣きたい気持ちになってしまった。
悲しいので、タリンの素敵な街の風景写真でもアップして、心を紛らしておく。
背骨の圧迫骨折、仙骨の脆弱性骨折、放射性膀胱炎、さらには蕁麻疹と肉体的な損傷が6月くらいら酷かったのだが、少しずつ治癒しつつある。骨折のほうは、偽関節とかになっていないし、膀胱炎の方も結局は時間薬しかないわけだ。
幸いに、膀胱炎の方は、肉眼的出血もここしばらく止まっていて、痛みも一時ほど酷くない。というわけで、2ヶ月近くおやすみしていたジムに、今朝は久しぶりに寄って、とりあえずエアロバイクだけやってみた。結果的には、とくに自覚する変化がなかったので、少しずつリハビリ的に筋トレも戻してみようかと思った。
今日も、飛び石連休の中日とはいえ、SIP関係の会議がしっかりあった上に、懸念していた事務仕事が、案の定すんなり行かなかったりと、ドキドキさせられたけど、まぁ結果が出たのでひと安心。
ごく希ではあるんだけど、たまたま読んでいる小説の物語や舞台が、現実世界でとても身近に感じる事がある。去年、たまたま読んでいた物語に大きな地下鉱山の話しが出てきたのだが、その物語を読んでいる時に出張でいったポーランドには、大きな地下鉱山があって、その近くの町までちょうど行ったとこだった。
でっ、先月くらいから小川洋子さんの"琥珀のまたたき"を読んでいた。この物語は、母と子供三人の物語なのだが、子度三人は外界から閉ざされた壁に囲われた家で生活をしているという背景。こんな物語を読んでいたら、先週のニュースで、オランダで終末を待って地下で七人の子供が外界と接触のない状態で生活をしていたというのがあった。しかも、本のほうはロバが一頭出てくるのだけど、オランダの事件のほうはヤギが一頭いたらしい。
こんなふうに、たまたま接触している仮想な世界と現実世界の情報が微妙にシンクロするのって、それ自体になんか不思議感があって、運命的に感じてしまうのは、なんなんだろう。
仕事でも、ネット上の振る舞いでも、ちょっと一呼吸置けばいいのになぁと思うことがよくある。仕事の手順や手続きで、管理側から何か言われたら、確認もせずに鵜呑みにするケース。ネットから入ってくるニュースに、よく確認せずにシェアしたりコメントする人は多い。
いやいや、そのニュース、なん年前のだよみたいなのに反射していり、普通に考えればおかしいだろうというので、ちょっと裏採りすればすぐフェイクとわかるやつなのに反応する人。
僕も、相当におっちょこちょいだけど、その僕からみてもオイオイというのが多いのは、皆んなもの事に対して懐疑的ではないからなのだろうか?どうも、何にでも懐疑的に思ってしまう自分は、素直じゃないんだなきっと。
骨密度低下で骨粗鬆症の疑いがあり、その原因を探るために内分泌診療科で血液検査などの結果をみての診察が昨日あった。結論から言うと、血中ビタミンDの不足とか甲状腺系の異常などの原因はなく、前立腺癌の治療のために行なっている内分泌療法による骨密度の劣化が主因ということだ。
まあ、治療前から副作用として言われていたことではあるが、やはりなんとか対策をしないと思う。投薬治療をするには、ビスフォスフォネート剤などが有効らしいのだが、これは歯科的治療に関係して顎骨壊死という副作用が発症するケースがあるらしい。
ということで、まずは内分泌の先生から僕のお世話になっている歯科医の先生に照会状を出して、歯科治療の状況などを確認するらしい。結局、本格的治療はその後になる。
一方で、すでに乗馬の影響とはいえ、背骨の圧迫骨折と仙骨の脆弱性骨折をしたわけで、可能な予防は早くしたい。最近は、骨粗鬆症対策のサプリもあるようだけど、副作用などが不明なので、まずは骨周りの筋肉を鍛えたり、体の柔軟性を増すことしか出来そうにもない。
幸いに、放射性膀胱炎の痛みが落ち着いてきて、今週からジム通いを復活させたのだが、パーソナルトレーニングによるストレッチを受けてみることにした。はっきりいて、下半身はまったく硬くて、自分でも呆れるのだけど、いままで真面目にストレッチとかやった事がなかった。今朝は、まず体の状態チエックをしてもら、ストレッチポールなどで基本的なストレッチを指導してもらった。しかし、これってめっちゃ気持ちいいと感激してしまったのは、なんか勘違いかしらん。
今日の午後は、サイエンティフィック・システム研究会という研究会での公演で神戸に。今日のテーマは、"Well-being"という話。ということで、データ流通やデータが"Well-being"にどう繋がるかと言う視点の話をすることに。
そんなわけで、いつものデータ流通に加えて、データがあれば、医療にどんなことが期待できるかや、SIPのAIホスピタルの目指すプレシジョン医療の話しをさせてもらった。
たまたま、今週末は瀬戸内芸術祭の開催されている島へ行く予定だったので、終了後は岡山に移動。とりあえず、駅近のホテルで一泊して、明日は宇野から豊島経由で小豆島に行く予定。
関東は、また台風の影響で雨がひどいようだけど、こちらは天気は悪くないというか、少し暑いくらいだ。データでは測れない、心の栄養素をアートで補充してくるつもり。
朝、岡山を出て宇野港から高速艇で豊島へ。まずは、唐櫃港から歩いて豊島美術館へ。小さな泉が湧き出るなんとも不思議な空間と、丸く切り取られた空のコントラストが、まさに心に沁みる体感アート。唐櫃浜付近の二つの展示を見てから、フェリーで小豆島に。
小豆島では、レンタカーで二十四の瞳映画村に移動。途中にあったうどん屋さんで昼は讃岐うどん。話好きなおばぁさんが、茹でたてを用意してくれて、讃岐らしいコシのあるうどんを楽しむ。
映画村の前にある愛のポラードを見てから映画村と分教場へ。二十四の瞳関係の展示に夏目雅子さんのポスターがないなぁと思ったけど、あれは瀬戸内少年野球団で二十四の瞳じゃなかった。映画村には、八日目の蝉の資料もありって、こっちはまだ映画のイメージが鮮明に思い出せる。
途中で醤油ソフトを食べて、オリーブ公園を周り、丁度干潮の時間にエンジェルロードを渡って、今夜の宿に。それにしても小豆島というか瀬戸内は暑い。
トリエンナーレというと、どこぞで炎上してるけど、こちらはアートも景色も炎上とは程遠く、心休まる世界だわ。
朝、宿を出て高速艇で高松に、高松でフェリーに乗りかぇて直島に行く。宮浦港から直通バスで、今日の目的地である地中美術館へ。事前予約制なので並んだりすることもなく、比較的ゆったりと鑑賞。昨日の豊島美術館と同様にここでも全身でアートを感じる作品と構造物の調和が楽しい。
残念ながら、ここも入場ゲートを過ぎてからは、建物も含めて撮影はできないけど、その分だけしっかりと心に刻める静かさがある。
再びバスで宮浦港に移動し、途中バスの窓越しに黄色いかぼちゃを見て、宮浦港では赤いかぼちゃにもご挨拶。その後、フェリーで宇野に移動して、岡山経由で東京に戻った。
瀬戸内国際芸術祭の作品を鑑賞するのであれば、とてもこんな駆け足では無理だけど、今回は豊島、小豆島、直島のすべてが僕には初めてなので、まずは、その中心だけを駆け足で回った。これで、次があればより深く楽しめる。
それにしても、各島でも高松港でも、フェリーの中でも公衆無線LANのサービスが充実しているのが良かった。
最近、他の会社が関わっている研究プロジェクトなどについて、インタビューすることが多い。僕は、どうも人の話を聞いても、それを理解するには絵解き派なんで、少しづつ整理しながら紐解いていく。
ところが、最近あるのは、その途中に発生するここはどうするの?という単純な疑問に、プロジェクトに取り組んでいる側が、「????そこは考えてないなぁ」とか「いまの段階ではまだそこは....」みたいな話が多い。
でも、それって、とてもファンダメンタルで重要なことじゃないのオイオイって思うわけだ。先月あった日欧のとある評価でも同じようなことがあった。
ようするに、全体を俯瞰した考えをする人が、本当に少ないのかもしれない。 これって、やばいよ、やばいよと焦る1週間の始まりだった。
お願いだから、もう少し考えようよと思うのだ。
今日も、某案件でアーキテクチャなお仕事。何かをわかりやすく可読性がよく可視化できる表現しようと思うと、当然ながらそこで表現する情報量を減らす必要がある。
これって、なんの仕事でも同じだけど、複雑なものを、なんでもかんでも詰め込んで、簡潔に表現しようとするは無理というわけだ。つまり、ひとつの図面なりパラグラフで表現できる情報のダイナミックレンジに限界があるということに他ならない。
昔から、どんな仕事でも仕事の複雑さというか大変さは、その扱う内容のダイナミックレンジに比例すると言ってきたけど、ちょっとそのことを忘れて、無理やりかなりのことを凝縮して図示化しようとしていた事にふと気がついた。
そんなわけで、分割統治したら案の定とても物事が整理できつつあるのが今日の発見だった。役人さんのポンチ絵って詰め込みすぎだよねって、いつもおもってる自分なのに....
ちょっと、精神的に楽になったので、久しぶりに都内で飲んで、〆に柘榴のカクテルも楽しんで就寝。
今日も午後は、SIPがらみの打ち合わせの三連打。SIPは、国が重点的なテーマを選択して、民間が中心となって社会実装まで取り組み自走できる仕組みをつくることを想定している。だから、国が出す研究費用に対して一定の比率で、民間に自己投資を求めている。
ところが、こういう肝心なコンセプトが、テーマによってはきちとん浸透していないようで、国のファンディングエージェンーシーからの委託研究というスキームの発想でマネージメントしようとしているテーマもある。
たまたま、僕は二つのSIPのプログラムに関係しているので、異なる予算執行団体のやり方が見て取れるのだが、どうもこの辺りの統一感の無さに不安を覚える。結果的に、こういう制度のコンセプトをしっかりと咀嚼できてないプロジェクトは、その評価も厳しくなるのだが、多分に間に入る予算執行団体のマネージメント問題も大きいかもしれないと、今日おもってしまった。
結局のところ、社会実装と学術研究の間をどうするかは、制度設計と骨太なリーダーシップ次第なんだろうな。
今日の午後は、デジュール系標準化へ向けた会議。昨年まで行われていた検討会の延長ではあるけども、具体的なアクションプランとして、かなり濃い構成員での会議。
今日は、事務局サイドからSDOに対する寄与文章のドラフトが示された。もちろん、これはかなり初期のドラフトではあるけども、こういうのをしっかりと起草して提案してくれる人や会社は、やはり議論をリードする。
標準化関係にいると、こういうタイプとは別に、他者が書いたものに対して、コメントはするものの、自らは責任をもって何かを示す事をしないパターンもかなり多い。そういうパータンの人や組織は、どうしても疎ままれて、結果として自分たちの狙いを反映できずに損をしていることが多い。
もちろん、他者に先駆けてなにかを書くというのは、非難も受ける確率が高く、相当に芯が強くないと出来ないから、そんな人ばかりを集めることはなかなか難しい。
でも、もし本当に新しい事をするなら、これは避けて通れない。その分、そういう先駆けって面白いんだけど、美味しいところを誰かに持って行かれるという悲しいパターンも多々あるのが悩ましい。
それでも、やはりイニシャルとかファウンダーって、やめられないよねと今日の会議でも感じた。